一生の間にできること

中日の福留選手の引退試合、絶対見逃すものかと思っていたものの、慌ただしい日常の中でポンと抜け落ちてしまい、たまたまテレビを点けるとその試合がやっていて、そんなミラクルに感激してしまいました。息子を猛スピードで寝かしつけ、いつものハイタッチも3倍速。こういう時の聞き分けがいいことが本当に有難いなと思いつつ、テレビにくぎ付けになりました。最後の守備、最後の打席、全てを噛み締めているかのような福留選手の表情にこちらの方が泣きそうになって。そして、フライで打ち取られた後、大きな拍手に包まれて試合終了。その後引退セレモニーが行われ、立浪監督が花束を渡す時にハグをしたその瞬間を目に焼き付けておこうと思いました。憧れの選手に出会い、目標となり、最後はその監督の元で選手として引退をする。そんな福留選手の24年の歴史がぎゅっと詰まった一瞬でした。その時を共有させてもらえたこと、ファンとしてずっと持ち続けようと思います。

その前日は、また調停の為に横浜家庭裁判所へ行ってきました。前回と同様、日本大通り駅で降りると、DeNA一色に染まったベンチには、『自分を超えろ』というメッセージが。ベイスターズの選手達が私に向けてくれた言葉なのではないかと、勘違いも甚だしい自分に笑ってしまい、野球の力に今回も助けられた気がしました。その後も、横浜スタジアムの横を通る時、写メを撮る余裕まで生まれてしまい、少しずつ肩の力が抜けていくようでした。その日は、なんだか決着が着かないような気もして、膝丈のスカートにアイボリーのジャケット。シェアオフィスに行く時と近い格好をして行ったので、緊張していた前回とは違い、ゆっくり空を見上げることができました。これまでついてきたため息の分だけ、深呼吸をしようと思いました。もっと自分を好きでいようと思いました。思いっきり笑える日を増やしていこうと思いました。いい風が心の中に吹き始めた、だから大丈夫。その後、待合室で弁護士の先生に会い、相変わらず3年前から友達のような雰囲気で登場してくれるので笑ってしまって。調停は、本当に決まる時だけ顔を出してくれたらいいと言われ、先生だけが行ってくれることになり、体調もいまいちだったので救われました。そして、いくつかの質問に答える際、先生がシンプルな黒のバッグから出したのは黒のルイヴィトンのペンケースで、さりげないお洒落に先生そのものを感じました。表面は飾らない、でも中にあるものは品のある一流なもので、この人のこと好きだなと思いました。一緒にいると、パズルがカチッとはまる感覚がある、私にはないものを先生は持っていて、凸と凹なんだけど、気持ちよくはまってくれるのは先生が合わせに来てくれるから。そしてどこかでうまく重なる所があるから、一段上がれたような気持ちをもらえるんだなと。それは、ネネちゃんと話す時と似たような感覚でした。相手を尊重する、そのスタンスでいてくれるからこういう気持ちが生まれるのかな。そんな嬉しい思いに包まれ、調停は次回に持ち越し。想定内だったので、先生と笑ってお別れをし、せっかくなので中華街でパンダの箸置きを二個買い、この際なのでとことん楽しんでしまおうとまたみなとみらい経由で帰ってきました。夕方6時、カギを持たせていた息子に「ただいま!」と帰宅すると、テンション低めの様子。「もう少し遅いと思っていたんだよ~。ボク、もっと一人でゆっくりしたかった!」彼の自立は思ったよりも早いかもしれないなと嬉しくなった、あたたかい時間でした。前へ前へボートを漕いでいく。

そして、9月25日日曜日の夜、ヤクルトのマジックが2となり、息子とテレビ観戦することに。「今日で優勝が決まるかもしれないんだよ~。」「え~!つば九郎達持ってくる!」と言って、仲間達をソファの上へ。0対0のまま8回の裏で、代打青木選手が出てきた時、流れがヤクルトに来ているような感じがしました。そして、ツーアウト1塁2塁の場面で、青木選手はフォアボールを選んで満塁。次に繋げた彼の気迫が、チーム全体に広がった大きなフォアボールでした。その後は抑えられ、引き分けのまま最終回へ。9回が終わって延長戦になったら明日学校だから寝るんだよと約束し、ヤクルトのバチを持って、二人で本気の応援。マクガフ投手がDeNAを抑えてくれた後、裏の攻撃へ。オスナ選手が全力疾走の内野安打を決めてくれた時、青木選手が大きな声を出してチームを盛り立てていて大きな存在だと目の当たりにしました。そして、代走には塩見選手。中村悠平選手が送りバントをきっちり決め、ワンアウト2塁という絶好の場面にルーキーの丸山選手がバッターボックスへ。バチを叩きながら祈ると快音と共にボールが外野に落ち、サヨナラ勝ちで二人で歓喜。ヤクルトの応援傘をリビングで広げて、神宮にいるファンのみんなと一緒の気持ちで優勝の喜びを分かち合いました。ナイスゲーム。一年間の選手達の気持ちがその試合に詰まったような痺れる終わり方でした。大興奮の息子は、メモ用紙に『ありがとう!』『おめでとう!』『感動した!』などと書き、紙吹雪のように撒いて大盛り上がり。そして、高津監督が優勝インタビューで気持ちを届けてくれました。「今日神宮球場へお越しのヤクルトスワローズファンのみなさん、そしていろんなところで観戦していただきました全国のヤクルトスワローズファンのみなさん、セ・リーグ優勝おめでとうございます。みなさんもチームスワローズの一人です。みなさんも優勝の立役者です。本当に1年間、セ・リーグを盛り上げていただき、そしてスワローズの一員として頑張っていただき、ありがとうございました。」こんな言葉をかけてもらえたら堪らないね。

その後も、ビールかけまで起きていると言い出し、この感動を覚えておいてほしいなと思い、快諾することにしました。するとぽつりと伝えてくれて。「9回にね、4人の選手が活躍してサヨナラ勝ちになったんだけど、中村選手が送りバントを決めてくれたのは大きかったと思う。」その言葉を聞き、自分の想いは息子に届いてくれているんだなとなんだかぐっときました。さらっと決めてくれた中村選手の送りバント、塁を進めてくれる人がいたからさよならヒットに繋がった。自分が主役その気持ちも大切、でもそれを後押ししてくれる人の存在を忘れないでほしい、彼の芯に残ってくれていた。
そして、ようやくビールかけの時間がやってきました。それを見て息子が、三ツ矢サイダーでボクもやりたいと言い出し、引き止めるのに一苦労。画面の向こうにいるみんなと喜びを爆発させ、散々盛り上がってようやく12時に寝てくれました。その時得た溢れる感動を、息子はきっと忘れないだろう。9歳の心が大きく動いた日、それは一生の宝物。