二か月に一度程通っている主治医の病院。今回は思うように状態が上がってこない辛さから、予約をしていなかった先生の勤務日当日に電話を入れると、感じのいい受付の方が確認次第連絡をしてくださるとのこと。祈るような気持ちで電話を待っていると、大丈夫ですと言って頂き、救われました。車を走らせ、診察室の前に行くと患者さんでいっぱい。すでにパンパンだった予約の中に先生が入れてくださったのだとすぐに分かり、有難さと申し訳なさが胸の中に広がりました。そんな時、診察室から出てきたおばあちゃんが、待っていた友達に何やら話しかけていて。「私ね、どうやらまだボケていなかったみたい。先生がそう言ってくれたの!」「あら~、良かったじゃない!!」そこだけ華やいでいるように見えて、一緒に混ざりたい衝動に駆られ、病院ってなんでもないひと言に助けられたりするんだよねって改めて感じた、穏やかな時間でした。
そんなことを微笑ましく思っていると、ようやく呼ばれた診察室。「先生、今日は無理を言ってすみません。」「大丈夫ですよ。何か調子が崩れた?」そう穏やかに言ってくれた時、いつもの雰囲気でいてくれることが堪らなく嬉しくて、ずっと続いている不調に嫌気がさしていた自分の心まで癒されたようでした。いつもより強い薬を処方してもらい、主治医の動向が気になり思わず聞いてみると、そこには胸が潰れそうな先生の苦悩があり、診察中に泣きたくなって。初診から三年半、何とも言えない信頼関係が出来上がっていたからこそ話してくれた、医師としての葛藤でした。本当にかじった程度、私に心配をかけないように上辺だけを話してくれたのですが、その深さに気づくには十分だったような気がしています。組織の中にいるからこその難しさ。きっとそれは、色々な方が抱えているものであり、ただそこには患者さんを想う気持ちが溢れ出ていたので、一人の患者として、今自分が持っている球を全部投げました。
「これまで、沢山病院の先生に出会ってきましたが、先生のような方はなかなかいないです。先生が現役を辞めてしまったら、私どうしようかとずっと考えています。先生は本当にお医者さんの鏡だと思っています。これからも沢山の患者さんを救ってください。」そう言って頭を下げると、目尻に何とも言えない優しい皺を見せながら、微笑み、ありがとうございますと伝えてくれました。どんなに忙しくても、患者さんの話を聞き、自分から話を終わらせない先生。途方もなく辛かった時、こんな話は先生の専門外だよねって思うようなことまで聞いてくれて、どれだけ救われたことか。そして、そんな患者さんが一体どれだけいたことか。そういう方達をこれからも助けてほしい。組織に負けそうな時、そっと思い出してくれたらいいなという願いを込めて、伝えました。多分、1mmもずれることなく、先生の心に届いてくれたと思っています。「患者さんのことを一番に考えたい。」先生は、どんな思いをしてもこの信念は曲げないのだと思い、胸が熱くなった日。
ふと我に返ると、後ろに沢山患者さんが待っていたことに気づき、「今日のお薬とっても助かりました。ありがとうございました~。」といういつもの笑顔に戻り、お互いがほっとしたお別れ。
帰り道、そんな先生の姿を見て、思い出した大学図書館勤務時代の恩師。漢方を研究されていた教授から今年も届いた年賀状。介護を受けながらもパソコンが使えなくなっても、自分が得たものを伝え続けている様子が分かりました。「もう先生休んでください。」これは私が言わなくても、周りの方達が言い続けてくれた言葉だろうと思います。そう、恩師もまた組織と戦っていた一人。そんな姿を垣間見ながら、図書館に来て私に会い、そっと和んでくれていました。
私は二人の先生に何か返せただろうか。ほんの少しでもいい、力になれただろうか。どんな言葉でも、伝えたい想いがそこにはあったから。