サザエさんちのようにはいかないけど

ずっと話していなかった大切な話。
きっとこの話題を出すことは私なりに勇気がいることで、とても大きなことだと分かっていたからなかなか出せませんでした。

生まれ育った実家は、元々六人家族。母方の祖父母と一緒に暮らしていて、なんとなく他の家庭と違うことを感じていた幼少期。
戦争に行った祖父と、乳がんだった祖母と一緒に暮らしていたので、二人はとても大きな存在で、時に私の親のようでした。

一人娘だった母は、養子にもらうことが大前提で、母なりのプレッシャーを子供の時から感じていたのだろうと、それが積もり積もっていったことは容易に想像できました。
戦地に赴いた祖父は、とても気性の荒い人で、病弱だった祖母は我慢強い人で、無口な父は祖父と合う訳もなく、母はどうしていいか分からず、姉はできるだけ関わらないように努めていて、私はなんとかしたくて、小さい時から心を痛めていました。

誰が悪いとか、何が悪いとか、そういうことではなかったんだろうな。ただ、噛み合わなくてそれが皆を苦しめていたのだろうと今でも思っていて。

人の気持ちが分かりすぎることが、自分を追い込んでいたのだけど、それでもやっぱり何とかしたくて、サザエさんを見ながら、どこかで憧れていました。

祖父がもう少し穏和な人だったら、もっと我が家は平和でいられたのかもしれない。でも、祖父が負けん気の強い人だったから、捕虜になっても日本に帰ってこられたんだよね、だから、母や姉や私が生まれたわけで、そのことは決して忘れてはいけないのだと。

祖母が他界し、姉が大阪に就職し、父が家を出て、祖父と母の三人暮らしになった時、二人にあたられて、本当に大変でした。でも、二人の良さもちゃんと分かっていて、辛い事ばかりではなかった、そこには三人の心の繋がりがあったとそう思っています。

大阪にいる姉と大学在学中に電話で話した時、「私の家族は妹だけ。皆好き勝手なことやっているじゃない!」と言われ、「大切な家族なんだから、そんな言い方したら駄目だよ。」と喧嘩になってしまい、電話を切られた後に大泣きしてから、姉は妹を置いてきてしまったと、ずっと後ろ髪を引かれる思いでいたことに気づきました。辛いのは私だけじゃない。

仲の良かった姉妹が、家族のことでしなくてもいい喧嘩を繰り返し、お互いが本当に苦しかった。考え方の違いだから、相手を責めてはいけないのだとようやく気づいて、今は連絡を取る事を止めています。母とも姉とも会っていないけど、大切な家族。もちろん、風来坊な父もね。

サザエさんちのようにはいかないけど、今でも大好きな人達。
いつかまた、会える日がくるかな。きっと私次第、今は時間が必要だ。
その時がもしきたら、笑って会おう。