究極の読後感

『永遠の0』(百田尚樹著、講談社文庫)を1年ぐらいかけて読むつもりが、最後は一気に読み切ってしまいました。感想は・・・。言葉にならないということ。そして、祖父の気持ちが重なり、私が感じていたものは当たっていたということ。

祖父は陸軍で、中国の内地で戦っていました。目の前で戦友が亡くなる中、必死で生き延びました。その後、終戦を迎え、長江や黄河といった大きな川のそばにいたら、船で日本に帰ることができたらしいのですが、もっと奥にいた祖父は、残った仲間と車に乗せられました。その時初めて日本が負けたことを知り、絶望したとか。その車は日本に戻る為のものだと思っていた中で、車内の様子がおかしいことに気づき、自分が捕虜になり、シベリアに連れて行かれていることに気づいたそう。

その時の気持ちを聞いたことがありました。「このまま、道具のように使われて、使えなくなったら捨てられるだけなんだと思った。」と。あまりの寒さで、凍傷で亡くなった仲間も何人もいたそうです。鉄道を作る為にいつも重たい道具を持ち、常に外で強制労働させられた日々。出された食事も雑菌だらけで食べられなかったとか。
どうやって耐えていたの?と聞くと、「体をいつも自分でこすって凍傷にならないように最善の注意を払ったよ。飢えは、雨水や雑草で凌いでいた。出された食事は食べられるかどうか、匂いで判断していたよ。」と。

戦争中と、捕虜になった時、どっちが辛かった?おじいちゃんをそこまで頑張らせた気持ちは何だったの?と私。「戦争はいつか終わりが来るだろうと思っていたよ。でも捕虜になったらもうここで死んでいくしかないと思った。終わりがないことは本当に辛かったな。それでも、日本で家族が待っていてくれていると思うと不思議と頑張れたんだよ。その後、なぜか急に日本に帰れることになって、京都の舞鶴港に降り立ったんだ。名古屋に戻ると焼け野原で、何もなかった。それでも、家族が待っていてくれてな。おじいちゃん、嬉しかったな。あの時のことは一生忘れない。家族は一緒にいないとダメだ。」

ここでは書けないようなもっとリアルな話を聞きました。深夜に急に起きて1階のテレビで戦時中の白黒のビデオを観だした祖父。眠りが浅いので、2階にいた私もすぐに気づきました。多分、夢の中に戦争中のことが出てきて、戦友に会いたくなったのだろうと。

名古屋の栄で行われる、戦争をテーマにした講演があることを知った祖父は、その公共施設まで送ってほしいと私に頼んできたことも。帰りは電車で帰って来てくれて、どうだった?と聞いてみると、嬉しそうに話してくれました。
「戦争に行っていない大学教授が、戦時中の様子を丁寧に話してくれたよ。こうして、これからもずっと伝えていかなくてはいけないね。今日は行けて良かった。」

目の前で戦友が亡くなるということ、家族の為に帰ると誓うこと、そして、生き残った自分が戦友の分まで生き続けるということ、内に秘めて決して忘れないということ。

本を読んで、祖父の生き方は見事に重なり、泣けてきました。私が感じていたものよりも、もっとずっと深かった。

祖父の葬儀の時、軍服を着て、戦友の元に帰っていく若かりし頃の祖父の姿が見えたような気がしました。一睡もしていなかったから、ただの幻だったのかも。でも、きっとそれは祖父が望んでいたこと。
ようやく、仲間のところに戻れたんだね。最後の最後まで生き続けた姿は、本当に立派でした。