前に図書館へ行ってパソコンを開いた時、近くに座っていた女子大生さんの持ち物が目に飛び込んできて、思わず吹き出しそうになりました。それは、ペンケースに付けられたクレヨンしんちゃんに出てくる“ぶりぶりざえもん”のマスコットキーホルダーでした。なぜ、持っているの?もしかして熱烈なファン?と質問攻めにしたい衝動に駆られたのですが、そこはぐっと堪えることにして。大学図書館のカウンターで勤務中に見かけたら、間違いなく彼女と盛り上がっていただろうと思います。
そんなことを考えていたら、さらに面白い会話が頭の中で再生されて。息子と両親宅へ遊びに行った際、クレヨンしんちゃんのDVDを見ながら母に一生懸命説明する会話が聞こえてきました。「おばあちゃん、ボクね、ぶりぶりざえもんが好きなんだよ。」「え?どれどれ?孫達の会話についていけるように、きちんと予習をしないと。」と食器洗いもそっちのけでテレビの前に座る母の姿を見て、爆笑してしまいました。そんなに緊急を要するのか?!でも、そこまで子供目線で可愛がってくれる母を有難いと思わなくては。
数年前、姉と母が会食をしていた時、何気なく話が聞こえてきました。「お母さん、私が小学生の頃、シルバニアファミリーを買ってほしかったんだよ。」「それなら、今お金渡すから買ってこればいいじゃない。」いやいや、そういうことじゃないんだよ、そこは沢山我慢をさせてしまってごめんねとお姉ちゃんに言うところでしょと心の中で思っていると、姉が絶句し固まっているのが分かりました。この人達のわだかまりはこちらが思っているよりもはるかに大きい。そんなことに気づき、何とも言えない気持ちがずっと残っていた中で、ぶりぶりざえもんの予習をしている母を見て、この姿を姉に見せてあげたいなと思いました。時間は取り戻せないけど、姉や私にできなかったことを孫達に。その気持ちを真っ直ぐに受け止めたら、姉の心が少しでも軽くなるような気がして、今どうしているのだろうとやはり気になっている今日この頃です。
プレ幼稚園時代からの、横浜へ引っ越してしまった臨床心理士を目指している友達が連絡をくれました。あまり多くを語らない彼女にとって、心の拠り所になれたことが本当に嬉しくて。秋の高い空が広がった日、息子を連れて約束の場所へ向かいました。「その子誰だっけ~。」と息子。「会えば思い出すよ、2歳から遊んでいるから。」そう話すと安心され、久しぶりの再会。あっさり鬼ごっこを始め、どれだけ時間が空いても幼なじみならではの居心地の良さが感じられ、見ていて嬉しくなりました。そして、私は信頼している友達との感激の対面でした。ひとしきり、お互いのなんでもない近況を伝えあった後、心配していた彼女の苦悩をさりげなく聞いてみました。私に連絡をくれたということは何かしらのSOSにも感じられて。とても繊細な人柄であるが故の数々の悩み。長い付き合いなので、断片的に話してくれたことも、少しずつ頭の中で繋がっていきました。「自分が苦しかった中学時代に、両親はそこまで助けてくれなかった。どう助けたらいいのか分からなかったのだろうけど、もう少し気持ちを分かろうとしてほしかった。完全に分かるなんてことは難しいのは分かっている、でも子供の苦しみをなんとかしようと思っている感じでもないのが辛かったんだろうね。だから、何かあっても私は両親のことをあまり助ける気にはなれないのかもしれない。」抱えていた沢山の葛藤、痛み。それでも、いつも伝えてくれる彼女の夢がそこにはありました。「私は何とか学校には行けていたけど、それぞれの思いの中で頑張っている子達が沢山いる。少しでも力になりたいんだ。」まだ、自分自身が越えられていなくても、その気持ちを違う形で誰かの何かになるのならと思う彼女の姿に、胸が詰まりました。どんな言葉をかけたらいいだろう。
「辛い時は、私が寄り添いたい。だから、苦しくなったら連絡してきて。何もなくても、たまにはこうして会おうよ。」そう言うと、今までで一番ほっとした笑顔を向けてくれました。
「そんな言葉をかけてくれたのは、Sさんだけ。その気持ちだけで十分だよ。ありがとう。親や友達にも線を引いてきたから、そんな風に寄り添ってくれて本当に嬉しかった。」今まで、どんな思いを抱えてここまで来たのだろうと思いました。一人に慣れたらダメだよとも思うし、一人だったから楽だったこと、傷つくぐらいなら一人がいいとそれが彼女の支えにもなっていたのではないかと。年少に上がるプレ幼稚園の最終日、同じクラスだと分かって、人見知りの友達に半ば強引にでも連絡先を聞いておいて良かった。迷惑を承知で、なぜか放っておけなくて、連絡がなくてもこちらのアドレスを教えるだけで、本当に困った時は連絡をくれるような気がして渡した一枚の紙。今日しかチャンスがないと思い、レシートの裏に書いたっけ。
その後、幼稚園後の園庭で話し、近くの公園で話し、いくつものカフェで語り合った時間。そんな思い出を持って引っ越し、また連絡をくれた時はとっても嬉しくて。「落ち着いたらまた会おうね。それまで、違う場所で頑張ろう。」社交辞令の嫌いな彼女にはストレートに届けるのが一番いいような気がして、受け取ってくれた気持ち。こんな私だけどよろしく、こんなでごめんね、こんな話聞いてくれてありがとう。言葉の端々に感じられる謙虚さや辛さ、そして優しさ。
マスクをしている子供達二人を並べて、お別れの駅でパシャリ。まだまだ大変な時期に語り合った時間が、彼女の励みになりますように。表では明るく頑張っている人も、裏では沢山の苦悩を抱えている、みんな多少なりともそうなんだってそう思えたら私も頑張れるよ。最後に伝えてくれた彼女の言葉を、ここに残しておく。生きていくことは大変だけど、キラッとした瞬間を今日も逃さないでいたい。