繋がっていく

息子のコロナワクチン二回目、調べてみるとかかりつけの小児科でもやっていることが分かったものの、前回は集団接種会場で受け、自動的に予約されたのでそこで受けることにしました。すると、「本当に痛くない?」といつもの警戒が待っていて、一瞬で終わるよと宥めながら先生の前へ。ああ!「R、○○先生だ!」と私が言うと、息子も先生も気づいてくれて、周りにいた看護士さん達も微笑み、和やかな時間が流れました。小児科の先生、集団接種会場にも来てくれていたのね。「前回の接種で副反応は出ましたか?」「めちゃくちゃ元気でした!」そんなやりとりの後、あっさり接種は終わり、先生にお礼を言ってバイバイ。なんだか嬉しかったな、場所が変わっても先生に会えたこと。生後4か月で高熱を出し、慌てて病院に行った頃が懐かしくなる。

その後、頑張ったご褒美に貯まっていたポイントを利用する為、しゃぶしゃぶに行くと、喜んでくれたものの、途中で息子の箸が止まりました。「ボク、もういいや。」急なことだったのでちょっと違和感があり、色々と食べた食材を思い返してみるとピコンと頭の中でランプが点いて。「ねえ、もしかしたら牛肉が合わなかったんじゃない?牛君。」「そうだ!豚肉とか鳥は大丈夫だったんだけど、牛肉食べたらなんか苦しくなっちゃったんだよ。」「本当に少量なら大丈夫なんだと思うけど、沢山だと気持ち悪くなっちゃうんだよね。お母さんもそうだから分かるよ。ハンバーグも合いびきミンチで半分牛肉だから、あまり好きじゃなかったんだね。ようやく分かったよ。」「ボクとママ、本当に似ているよね。一番違うのは男の子と女の子だということ。」「そうだね。でもね、異性から学べることってめちゃくちゃ沢山あると思うんだ。Rと一緒にいて、お母さん色んな発見があるよ。その違いを分かり合えたら、周りの人達に優しくなれたりすると思う。だから、Rの女の子のお友達も大切にしてね。」「うん。○○ちゃんとか○○ちゃんとか。」そう言って微笑んでくれました。一緒に温泉にはもう入れないけど、あなたに沢山の景色を見せたい。見える世界が少しでも広がるといいな。目の前にある悩みがちっぽけだと感じられる視点、大切にしていこう。

名古屋から帰って、頭の中を整理した後、姉にメッセージで伝えました。『Rが名古屋をとても気に入って、肌に合っているのだと感じたよ。だから、名古屋の大学とか可能性あるなとも思ったの。お墓の件、総合的に考えたいから、またゆっくり相談させてね。東山動物園、住み着きたいぐらい気に入っていた!』すると返信が。『R君、名古屋の空気合うのだね。そういう本能的な感覚大事にしてあげたいね!R君が東山大好きなことを聞いて、お墓のこともおじいちゃんとおばあちゃんの導きがあるような気がしてる~。リニア通ったら近いし。』そんなネネちゃんらしい捉え方に嬉しくなりました。名古屋に帰省した三日間、両親はそこに住んでいて私と息子が二人で遊びに行った錯覚に何度も陥って。そして、笑ってしまうぐらい息子がその地に馴染むので、これは何を意味するのだろうと考えさせられました。父が市内を車で走ってくれた時に、見えた総合病院。そこで私は生まれ、祖母は亡くなりました。そして、祖父が脳梗塞で入院中、関東からボストンバッグを持って直接病院へ向かうと院内ですれ違った医師。その方は、テニスコートでバイトをしていた時にお客さんとして来てくれていた方で、色々な話をしてくれて。「僕ね、母子家庭だったから、奨学金制度を利用して○○大学の医学部に入ったんだ。」そこは、誰もが知っている有名な国立大学でした。伝えてくれた言葉に、偉そうな姿は微塵もなく、むしろ親への感謝が感じられ、本当に目標に向かって優しく育ったことが分かり、胸がいっぱいでした。環境のせいにするのではなく、諦めない気持ちを大切にしてほしい。あの頃の私には、あまりにも大きくあたたかいメッセージでした。「先生、心臓外科のスペシャリストだと思うんですけど、小児科の先生も向いているなって思います。雰囲気がほんわかしているから。」正直にテニスコートの受付で伝えると、とっても柔らかい表情で笑ってくれました。「そうかな~。一か月に一回しか休みがない時もあって、オペもあるからテニスしている場合じゃないんだけど、たまには息抜きしたくてね。ここに来ると、自分のことだけに集中できるんだ。」先生にとってテニスコートが、ニュートラルでいられる場所なんですね。そして、白衣を着たら患者さんの為に。“自分”といつも向き合ってきた人なんだろうな。どんな理由で母子家庭なのか分からない、でも、ひとりっ子の先生がお母さんから真っ直ぐな愛情をもらっていたのは分かりました。理想のお母さん像が、沢山見つかっていく。「手術には体力がいる。執刀医も患者さんもね。全身麻酔で体を預けてくれているのだから、こちらも万全の状態で臨みたいんだ。と言ってもテニスに来ちゃっているんだけどね。」会話を思い出すだけで、助けられたような気持ちになる。患者として、母親として、そして、人として。

そんな名古屋の地に、私は骨を埋めるのだろうか。そんなことを思っていたここ最近、息子がオーストラリアにどうしても行きたいとまた言い始めました。いつの日か、お母さんの灰を持って、ゴールドコーストの海に少量でもいいから撒いてくれないかとお願いしたら、怒られるだろうか。その海は日本と繋がっている。だから寂しくはないのだと。その前に、沢山の思い出を作ろう。もういいわって言うぐらい、息子と綺麗な空を見上げることにする。