隣り街にある主治医の病院へ向かうのも最後。次からは新宿へ先生の病院に通うことが決まっていたので、色々な気持ちを抱えて到着しました。ドアの前まで行くと、沢山の患者さんが既に待っていて、のんびり構えることに。すると、近くにいたご年配の女性と息子さんの会話が聞こえてきました。「俺が席を離れたからって、飲み物を置いておいたらダメだよ!席の取り合いをする場所じゃないんだよ!!」「でも、○○ちゃんが座れなくなるかと思って・・・。」「周りに迷惑だろ!」言いたいことは分かる、それでも言葉にトゲあることを感じ、受け取る方は辛いだろうなと胸が痛くなりました。有給を取ってお母さんの付き添いに来てくれた息子さんへの優しさなのではないか、こんなことぐらいしかできないけど来てくれてありがとうの気持ち、少しでも彼に届くといいなと思いました。気が付くと、すでに70分待ち。そして、ようやく呼ばれると先生が申し訳なさそうに伝えてくれて。「すっかり待たせちゃってごめんね。」「いえいえ、よろしくお願いします。」いつも明るい先生のオーラが、その日は心労で少し暗くなってしまっていました。いつもの診察、いつもの気遣いがそこにはあるのだけど、先生の苦悩や葛藤が伝わってきて。病院と先生との間にあった方針の違い、それによって主治医は病院を後にすることになったのだろうと。待合室にいたのはご年配の方がほとんど。遠方まで通院させるには無理がある、だったらせめて紹介状を渡して近くの病院に通ってほしい、その紹介状を一人一人の患者さんに書いていたので、時間がどんどん押していたことが分かりました。自分が最後まで診ることができたなら、そんな先生の気持ちが届き、無念だっただろうなと。肩を落としている主治医をそっとしておこうとも思ったものの、助けられてきた数々の出来事を思い出し、別れ際に伝えました。「先生、ここの病院最後になりますが、本当にお疲れ様でした。先生がどれだけ貢献されて来たのか知っているつもりです。少しはゆっくり休んでくださいね。」そう言って深々と頭を下げると、若干驚き、先生の張り詰めていた心が解れ、いつもの穏和な笑顔を見せてくれました。「ありがとう。なんだか、あっち行ったりこっちの病院行ったり、いつも振り回してしまってごめんね。」この先生はありがとうとごめんねをあまりにも自然に言ってくれる方なんだな、そんな優しい医療に大勢の患者さん達が助けられてきたんですよ、私もその一人です。沢山の気持ちがこみ上げ、堪らない時間でした。今度は新宿で、また笑って再会できますように。
そんな気持ちを持ったまま帰宅し、ゆっくりと自宅の湯船に浸かると、なぜか9.11の時のことが思い出されました。そのすぐ後に、カナダに留学していた姉の所へ母と会いに行くはずが、名古屋成田空港間のチケットが取れなかった~とネネちゃんから連絡が入り、大慌て。マブダチK君が車の旅をしていたので、ダメ元で連絡を入れると送ってくれることになり、母と大喜び。そして、国道一号を深夜に走らせてくれて、無事に成田空港へ到着しました。「ありがとう。本当に助かったよ。K君、これからどこに向かうの?」「茨城だよ。あそこの地域を気に入っているんだ。」「そうか。いい旅を続けてね!」「Sもな!」そう言ってお別れ。その後、テロの影響でバンクーバーに向かう飛行機は何度も整備士さん達による確認作業が行われ、どんどんフライト時間は過ぎていきました。ようやく乗れたものの、バンクーバー空港でスーツケースを受け取ったり、何度も色々な質問が待っていて、カルガリー空港への乗り換えも一苦労。疲れや時差ぼけなどで、ようやく姉に会えた時に、空腹かどうかを聞かれ、もうよく分からないと正直に伝えると、ホストママと一緒に笑ってくれました。本当に大混乱の中来てくれたんだなと。自分が見たもの、感じたものを聞いてくれたネネちゃん、感じやすい妹が受けた衝撃は大きかっただろうとその表情が言っていました。その後、カナダ人の恋人も付いてきてくれて、帰りのカルガリー空港へ。行きにバンクーバー空港で荷物を受け取ることに時間がかかり大変だったから、帰りは成田空港までスーツケースを受け取らなくてもいいように手配してくれました。「S、行きよりはフライトもスムーズだと思うから。帰りのチケットは取れたから、成田から名古屋空港に帰ってね。おじいちゃんには私から到着時間を伝えておくから。残りの大学生活楽しんで!」そう伝えられ、ハグをして涙のお別れ。それから、カルガリー空港の出発は定刻に行われ、安堵と共にバンクーバー空港へ。荷物の受け取りがないって楽だね!と母とわいわい言いながら成田行きの場所まで歩くと、そこでまた飛行機の入念な確認が行われ、何時間も待たされることに。そして、ようやく乗れたものの、画像に映し出された成田の到着予定時間を見て、困惑。どうしよう、名古屋行きの便に間に合わない。おじいちゃんが名古屋空港で待ってくれているのに。携帯持っていないし困った。そんな動揺と共に、日本に着いた途端、姉の元彼から私の携帯に電話が入り、冷静に伝えてくれました。お姉ちゃんは、S達のフライトをずっと追っていて、バンクーバーで足止めされているのが分かったから、乗り換えも間に合わなくておじいちゃんに今日の帰宅は無理だと電話を入れてくれているから安心しろと。なんで元彼から電話が入るんだと姉の動揺ぶりに笑えながら、カルガリーで心配してくれた姉の優しさを思い出し、泣きそうになりました。そして、頭を過ったK君。「俺は茨城にいるから、何かあったら連絡しろ。」と伝えてくれていました。それでも、電話はできなくて。行きも無理を言ったのに、帰りまで頼ることはできない。何より、彼には自由でいてほしかった。愛知の景色をまた見たら、後ろ髪を引かれる思いになるだろう。彼の世界を広げ、その時間を大切にしてほしいと思い、携帯を握りしめてコールするのをやめました。
少し時が経ち、ふらっと名古屋に帰ってきたK君に再会。帰りもテロの影響で結局成田空港に足止めで、航空会社の配慮で近くのホテルに泊めてもらい、翌日ようやく帰ってこられたと話すと伝えてくれました。「どうして俺に電話しなかったんだよ。」「行きだけで本当に有難かったから。」帰りも頼んだらいけないっていうお前の遠慮もあるだろ、でもそれだけじゃない、俺が今しかできないことを奪いたくなかった、Sってそういうヤツだろ。ふっと笑った彼の表情を見て言葉は少なくても、全部分かっているなと思いました。「で、おみやげのメープルクッキー。いろんな所でスーツケースをゴロゴロしていたから、割れているかもしれない。」そう言うと、お礼と共に目の前で開けたクッキー。本当に何か所も割れていて、一緒に笑ってしまいました。「Sが大変な思いをして帰ってきたのがこれでよく分かった!」とゲラゲラ笑いながら食べてくれて。K君、車の旅はどう?私も世界がぐっと広がったよ。私達、旅をすることをやめないのかもしれないね。大変だって分かっていても、冒険したいんだ。この気持ち、どれだけ年を重ねても持っていようね。割れたメープルクッキーを半笑いでかじる彼の横顔を見ながら、そんなことを思いました。今思い出しても、帰りに呼び出さなかったのは正解。K君を先に見送っても、彼は私の心の中でもう一度車に乗って迎えに来るのかもしれない。成田空港で黒のスポーツカーを見かけたら、年老いた私はきっと大泣きするだろう。