運動会も無事に終わり、ほっとして家で過ごす中、息子が伝えてきました。「連休中、みんな旅行行ったりして遊べないんだって。」とがっかりした様子。てっきり遊ぶものと思い込んでいたので、悲しい気持ちにさせてもいけないとあれこれ思考を巡らせ、こっそりプログラマーのMさんに連絡。みかん狩りに誘うとタイミングを合わせてくれて、翌々日行けることになりました。そのことを息子に伝えると大喜び。私にとってはビジネスパートナーであり、兄のような存在でもあって。いろんな気持ちを汲み、理解してくれたことに心からの感謝でした。その後、スマホを見ると一件のメッセージが。よく見ると、幼なじみのD君のお母さんからで、約束してこなかったみたいだから、もし予定がなければ遊んでもらえたら嬉しいですと控えめに入っていて嬉しくなりました。旅行へ出かけるのは他のお友達だったのね、息子とD君は以心伝心、お母さんを通し彼の気持ちが伝わってきてなんだかほっこり。そして息子に伝えると、これまた大喜びで、翌日二人で遊ぶことが決まりました。すると、D君親子も感激してくれて、心があたたかくなって。この親子にもありがとうを忘れたらいけないな。
翌日、嬉しそうに出かけ帰ってきた息子は、何をしていたか教えてくれました。「公園に焼き鳥屋さんが来ていて、二人で買ってベンチで食べたの。あと、ゲームしたり鬼ごっこをしてきたよ。」ふんわりとした空気がこちらにも流れ込んでくるひととき。ストレスフリーでいられる相手って大切だね。「D君との友情、大事にしてね。一生友達でいられるかもしれないよ。それってね、ものすごく幸せなこと。」そう話すと頷きながら嬉しそうにしてくれました。なんだかいい夜。
そして翌日、神奈川県の山間部まで行き、みかん狩りを堪能してきました。息子の笑顔にほっとし、私の安堵の表情に微笑んでくれたMさん。届けてくれた気持ちを決して忘れてはいけないなと思いました。遠くを見渡すと、太平洋の海がとても綺麗に見えて。辛い気持ちはここに少し置いていけるような気がしました。そんな簡単ではないのだけど、ふと心が軽くなる瞬間を記憶に留めておきたいなと。そういったことを思っていると、小学生の子供達がカマキリを見せながら、がっつり話しかけてくれて。虫嫌いなんだよなあと思いながらも、わいわい。息子も砂だらけになりながら、行ったり来たり。沢山のみかんを収穫して楽しく帰ってきました。ビタミン補給はこれで完了。
そして昨日、いよいよ学区外申請が始まる日、今日で安心できるといいなという願いを込めて、教育委員会へ電話を入れました。次年度は中学へ入学するので、引き続き学区外の中学を希望している旨を伝えると、それだけでは認められないことが分かったので、ひとつ息を吐き、できるだけ落ち着いて伝えさせてもらうことに。息子はHSC(人一倍繊細な子供、Highly Sensitive Child)であり、環境の変化などでバランスを崩しやすいこと、クラス替えの前日でさえなかなか眠れなくなってしまうことなどを話すと、それでは面談でもう少しお話を伺いたいと言って頂けたので、少し間を空けて訪問することが決まりました。繊細さって、なかなか説明が難しいんだよな、そんな中でHSCという言葉が教育現場で広がりを見せ始めてくれていることを有難いと痛感して。私が子供の頃、そういった概念はなく、それでも4歳上の姉はこちらの何ともいえない辛さを理解してくれようとしました。妹はよく吐く、それが乗り物酔いならまだ分かるけど、普段の生活でもそうなってしまうのはなぜだろうと。ネネちゃん自身も子供だったので疑問符ばかりが残ったものの、多少なりとも気づいてくれる人がいたと思えたことは、私の救いだったような気もしています。気圧の変化や寒暖差、冷えやちょっとした天候の変化で心身ともにすぐ反応してしまう、それだけ自分のセンサーが敏感なのだと大人になって姉に説明すると、答え合わせができたのか納得してくれました。いいことも悪いことも、網の目が細かいSちんはなんでもキャッチしてしまうから、その分辛くなってしまうけど、そのセンサーに助けられる人は沢山いるだろうね。でも、わがまま言える人には言いなよ。R君とお菓子ボリボリ食べて、ちょっと太っちゃった~とか言うSちんも楽しみにしているよ。」オーストラリアから帰ってこない方が、妹は素の自分でいられるのではないか、そんな姉の気持ちを思い出しました。その想いだけで十分。
そして、場面は離婚調停中の裁判所へ。弁護士の先生が、初めて聞くHSCという特性について知ろうとしてくれたので、参考文献をコピーしお渡しさせてもらいました。裁判所で説明するのもなかなか難しく、いろんな困難さがあった中で、先生は最後まで諦めないでいてくれて。いざとなれば直接説明をさせてもらうことを伝えていても、ホルモン治療で辛い時期だった私を知っている先生は、どんな時もファイティングポーズで守ってくれました。教育委員会の方と電話を切った時、その時のことを思い出し、泣きそうになって。こみ上げたのは、なかなか伝わらなかったもどかしさよりも、先生が息子や私の苦悩を守ろうとしてくれたその気持ちでした。どこまでも先生は、プロフェッショナルであり、強い信念を持った方だったなと。本当にここまでいろんなことがあって、時々心が折れそうになるのだけど、やっぱり最後に残るのはどんな時も感謝なのだと思いました。だから、また歩き出せる。
自分を知ること、その上で気持ちをコントロールしていくこと、その練習を息子と一緒にできたらいいなと思い、ぼんやりと特性を話したことがありました。「お母さんもRもとても繊細だから、季節の変わり目とかに辛くなって、自律神経が乱れてしまうこともあるんだけど、次の日になると落ち着く時もあるから、上手いこと付き合って行けたらいいね。繊細なんだけど、私達って好奇心が旺盛だから気持ちが外へも向いていて、だから疲れると分かっていてもいろんな所へ行きたくなって、ちょっと異端児的な要素もあるみたい。」「異端児って何?」「ざっくり言うとちょっと変わり者。ははっ。」と言うと一緒になって笑ってくれました。外交的なHSCである息子は、学校で何気にうまいことやっていて、それでも帰宅すると内面は時々嵐のような状態になる。自分の知識と経験を総動員して、面談で精一杯伝えてこようか。それがまた、誰かを救ってくれるかもしれない。