ひとりを楽しもう

息子の卓球の試合が終わり、へとへとで帰ってきました。「ただいま。」「おかえりなさい。頑張ったね。どうだった?」「1セットは取れた!3年生の先輩だったよ。2セット目、デュースになって18対16までいって取れたの。でも負けちゃった。」「完全に抑え込まれた訳ではなく、デュースになって1セット取れたのは大きいよ。そのメンタルがあれば、今日の経験が絶対にどこかで活きてくるよ。Rの気持ちが引かなかったこと、お母さんも嬉しい。」そう伝えると、嬉しそうにはにかんでくれました。充実した表情、いい時間だったんだね。「お弁当、うまかった!」こちらの方こそ完食をありがとう。公式戦デビューの日、感慨もひとしお。

そして翌日、中学校に入って初めての授業参観がやってきました。でも、息子には来ないでと言われたので、変装して行く訳にも行かず、あっさり彼の気持ちを理解することに。どうやら仲のいい友達みんなのお母さんも行かないので、やめてほしいとのこと。中学校に入ったら、急に抵抗を感じる時もあるだろうとこれはもう想定内だったので、想像を楽しむことにしました。そういえば、引き渡し訓練の時も来ないでと言われたので、練習にならんがな!と思いつつも、シミュレーションはきちんとしておこうと話し合ったことがありました。「本当にそこまでの災害ってあるの?」「去年も震度4の地震を経験したでしょ。あの時はたまたま自宅に二人でいたから良かったけど、電車は止まっていたよ。3.11の時、電話もなかなか繋がらなくて大変だったの。いい?お母さんが何らかの事情で迎えに行けない時は、おじいちゃんが迎えに行ってくれることになっているから。電話が繋がらなくて、電車でなかなか帰って来られない時も、まずは自宅で待っていてね。うちの避難先は○○。本当に他人事じゃないよ。イメージしておけば、何かがあった時に落ち着いていられるから。防災グッズは物置に入っているよ。」そこまで話すと、冷静に聞いてくれました。二人にとってとても大切なこと。この暮らしを何があっても守るんだ。
その後、我が家の浴室換気扇が故障してしまったことが分かり、管理会社さんに連絡を入れると、後日業者さんが修理に来てくれました。その方は、他の修理もして頂いたことのある50代の男性で、もうすっかりお互い親しみを込めてご挨拶。「急に止まっちゃったんですか~。」「そうなんです。暑いのでお水どうぞ。」とペットボトルを渡すと、恐縮されながら受け取ってくれて。そして、一度見てもらい、意外とすぐに呼ばれました。「あの、見てみたら、この換気扇1996年のもので、完全に取り換えが必要なようでまずは物を手に入れないといけないようです。来週になってしまいそうで、すみません。」と言われ、思わず笑ってしまって。1996年って私は何歳だ?とにかく業者さんが悪い訳でも何でもないので、お礼を言って今回は帰って頂くことにしました。そして、ひとりになるとゆっくり思考は巡り出して。1995年は阪神大震災が起きた年、私は中学3年生でした。忘れる訳がない。明け方の地震、揺れを感じて起き、朝のニュースを見ると神戸の街はとんでもないことになっていました。学校へ行くと、社会科の先生は教科書を開くことなく、地震の話を始めて。名古屋から被災地に届けと願う、先生の想いを感じました。その50分の授業は、胸の中にそっとしまわれて。そして高校に進学し、1996年。年が明け、2年になったら選抜クラスに行けという担任の先生の意見を振り切って、普通クラスに入れてもらいました。理由を聞かれたので答えることに。「お尻を叩かれると途端にやる気をなくすタイプ。そっと見守ってくれていたら、その信頼が嬉しくて逆に自分に厳しくなれるような気がして。」サッカー部の顧問でもある体育の先生とは、いつも敬語を使わずにフランクに話していて、あっさり理解してもらいました。その選択が、吉と出て。人の3倍努力をしたら、ようやく結果がついてきたと思えたのもこの頃でした。昨日の自分には勝てるかもしれない。そして1997年、3年になりまた1年の時の先生が担任に。自由にさせてくれてありがとうと毎日のように思った一年間でした。時は1998年、進学も決まり、卒業式も終えて、女友達二人と神戸への旅が待っていました。駆け抜けた3年間、その間に神戸の街はこんなにも復興を遂げていたのだと胸がいっぱいでした。それでも、心の中では時が止まった方がきっと大勢いらっしゃると思っていて。それから何十年も経ち、神戸出身のプログラマーMさんと出会いました。震災の時、彼はアメリカの大学に通っていて、とても苦しかった胸の内を話してくれて。前に進みたいのだけど、一部の思考がどこかで止まったままで、でもそんな自分も含めて上を向こうとここまで歩いてきたのだと思いました。ひとりで抱えてきたものがある、それを言葉にし、誰かに渡すことさえ苦しいこともあるのだと。それでも前へ、そんなMさんの想いも乗せて、このサイトは沢山の気持ちに支えられています。

今は2025年、授業参観の後の懇談会も出なかったので、息子が資料を持って帰ってきてくれました。子供の安全基地になってあげてほしい、そんな言葉になんだかぐっときて。口数は減ったし、絶賛反抗期中でもあるのだけど、数年前に七夕で一緒に作った竹のような工作を出すと、まだ取ってくれていたの?!と喜んでくれました。そして、短冊を2枚書いてくれて。『ヤクルトが強くなりますように』スワローズ愛すごいな。『ママと毎日楽しくすごせますように』私は彼の安全基地になれているのだろうか、その文を読み感極まりそうになりました。ひとりになって、ふたりの時間がやってきて、またひとりになる。どのひとときも、まるっと包んで最後は笑顔がいいね。