カフェに行く時、絶対忘れたくない本を忘れてきてしまいました。大失態です。
隣の市に行く用事があり、そのついでに寄ろうと思っていたら、電車の中で気づき、本気で家に戻ろうかと思ってしまった!
最近、寝る前に少しだけ読む時があって、ベッドのそばに放置したままバタバタと出てきたので、かなりのショックです。私にとって、とても大切な存在なのだと改めて認識。
小学生の頃、図書室の本は偉大な人物の伝記を漫画で読み、なんとなく、そして漠然と世界を知りました。その人の歴史を知ることって好きだなあと、土台があって今がある、それが肥やしとなって偉大な発明であり、芸術であり、人々が役に立つ何かを生み出しているということを知る。
活字ではとても読めなかった複雑な内容も、漫画なら入り込みやすく、自分の中で消化し、理解できることがとても嬉しかった。
その時の喜びを今でも覚えています。だからなのかな、図書館に漫画を置くことには賛成派です。
どちらが良い悪いではなく、司書の中で意見が分かれるところ。
活字が沢山ある本を一冊読む子と、漫画一冊読む子とでは、本を読むという比重は違うのかもしれません。それでも、得られるものはあると感じています。
そして、本を読むことに抵抗がある子が、図書室を利用することに抵抗がある子が、面白い漫画が一冊置かれていることで、何かのきっかけになってくれたらと願っていました。
大学図書館は大学全体の中で、学校図書室は学校の中で、一番心が休まる場所であってほしいと思っています。本を読まなくても、そこにいるとなぜかほっとする、そんな場所であってほしい。だから、形に囚われすぎることなく、少しぐらい緩いことがあってもいいんじゃないかな。
へなちょこな司書の私が偉そうなことは言えませんが、図書館という場所に救われた一人だから、言えることもあります。
自宅で勉強できる状態ではなかった頃、教材を自転車のラックに入れて、街の図書館に行っていた高校大学時代。張り詰めた家から離れ、図書館のドアが開くとほっと和みました。勉強に疲れると、別置されていた料理本を見て、パラパラめくっているだけで、気分転換。
司書試験のレポート提出の前に、そこの司書の方に質問をさせて頂きました。どうして手前に料理本が別置されているのかと。
「小説などに比べたら、内容は軽いのかもしれないけど、手前にあるとなんとなく手に取ってみたくなったり、そこにあるだけで明るくなりませんか?」と微笑みながら伝えてくれました。
そして、最後に「あなたなら、立派な司書になれるわ。だから頑張って。」
司書としての原点は、街の小さな図書館。形式よりも、温かい雰囲気を大切にしている場所でした。
本を家に忘れて、読むことだけでなく、そこにあるという安心感を改めて思い出させてくれた、音楽が流れる店内での穏やかなひととき。