年末、シェアオフィスへ行き、女性GMに1年お世話になりましたというお決まりのセリフを口にすると、「締めるんですね~。」とにこやかに言ってくれました。まだ三日間オフィスは空いていても、その日は自分の中での最終日。また来年もよろしくお願いしますと言いながら気持ちのいいお別れ。そして、30日に年内最後の公開があり、元旦にまた公開を迎え、一体私はいつ締めたらいいのだと思いながらスタバに転がり込んだ日。休みたかったら休めばいい、でも休みたくないからここにいる、きっとそういうこと。
クリスマスイブの日に、なぜか頭の中で流れたGLAYの『BE WITH YOU』(作詞作曲:TAKURO)。大学在学中にこの曲を聴いて、男性は恋愛をするとこんな気持ちになってくれたりするのかなと、甘酸っぱさが胸の中に広がったことがなんだか懐かしくて。淡い感じが何度聞いても堪らないです。自分のホールに納まらないから、いつまででも聴きたくなるんだろうな。教職課程で一緒だった友達に、「どうしてGLAYが好きなの?」と聞かれたことがありました。「自分の気持ちとどこかで重なるんだよ。もし自分が男性ならこんなことを感じていたのかな、こういうことを伝えてくれる男性に惹かれたりするのかな、聴いていて何とも言えない嬉しさがこみ上げるよ。こんな風に生きていけたら素敵だなって。そういう想いがメロディに乗ったら胸の奥底でキュッとなる時があるよ。」確か、そんなことを熱く語った講義室。その意外性がSちゃんの魅力の一つかもと微笑んでくれた友達。音が連れてきてくれるささやかな青春の一部分。
3.11の後、オーストラリアから関空を経由して、一旦戻った名古屋で、父の精神状態がとても不安定になっていました。そのまま途中下車をせずに関東へ戻ればよかった、そう後悔した日。ファミレスで、いつもどこかで冷静だった父が実家に戻りたいというようなことを母や私に伝えてきました。余震が名古屋でも続いていた状態、父の不安感も分かる、でもそれってちょっと勝手すぎないだろうか。少し時が経ち、ふと祖父から電話が入りました。「お父さんが戻りたそうにしている。おじいちゃんとしては、お母さんの為にも戻ってきてほしいと思っているんだよ。Sちゃんはどう思う?」「私がいない中で3人が上手くいくとはとても思えないんだよ。お母さんも、大分落ち着いてきている。おじいちゃんが戻ってほしいという気持ちも分かるけど、お母さんの為に断ってほしいと思っているよ。」そう伝えると、後日父がまたやってきた時に、やんわり断ってくれたそう。震災がもたらしたもの。家族のあり方そのものを根底から考えさせられた出来事。父があそこまで弱った姿は見たくなかった、それでも最後は家族なのだとそう思ったのかもしれません。その姿を見るために私は名古屋に降り立ったのだろうか。そら見たことかって心のどこかで思っていたのかも。
祖父が亡くなった数か月後、家族会議で祖父の想いを両親に話しました。「お母さんのお兄ちゃんは生まれて1週間で亡くなった。おばあちゃんは頑固なおじいちゃんの相手をお母さん一人にさせることに心を痛めていたし、おじいちゃんはあんなに短気でも、お父さんのことをずっと亡くなった息子と重ねて幸せを願っていたんだよ。お父さんが一人暮らしを始めた時、そっと見に行ってくれないかと何度も言われた。おじいちゃんはお父さんに女の人がいることも受け入れ、家事をしてくれる人がいてくれるならいいと言っていた。親の愛をずっと感じていたよ。」そう話した翌日、父が仏壇に向かって長い時間手を合わせていたと姉がこっそり教えてくれました。
私の気持ちはまだまだ納まらない。それでも、一つ一つがこうして溶けていく。苦しかったのは決して自分だけではないことを知っているから。