以前、英会話に通っていた頃、欧米人の先生が必ず聞いてくれました。「What were you doing last weekend?(週末は何をやっていた?)」その質問に対し、時々耳にしたのが、「Nothing special.(特に何もないよ)」という生徒さんの返事。なんだかそのやりとりがとても好きでした。何もない、でもそれがなんだか幸せな日常のようで。暗い表情ではなく、明るく言ってくれるその雰囲気が、優しい毎日を感じさせてくれます。
そんな私はというと、息子が小学生になり旗振り当番が回ってきて、これはそれなりの非日常。先輩ママと組んでもらい、大きな交差点で教えてもらった通りに登校する子供達を誘導。時にハラハラしながら、慣れないことで緊張しながら行っていたら、お世話になった幼稚園バスが通過し、中には年長の時のY先生が見えて、そこだけ何かで切り取られたような錯覚が起き、こみ上げるものがありました。息子も私もすっかり小学校の一員。それでも、こんな風に一瞬で思い出を連れてきてくれるこんなひとときが幸せというのかもしれないなと感慨にふけっていたら、高学年の男子がじゃれ合って信号を見ていなかったので、慌てて制止。その日は何とか終了し、またの機会がやってきた時、同じ先輩ママが伝えてくれました。「私ね、引っ越すことになったんです。転校はしないんだけど、地区が変わってしまうからもう一緒に当番ができなくて。」そう言われ、なんだか急に寂しくなりました。たった2回。それでも最初に教わった方であり、こんな形で上級生のお母さんと関われるっていいなと思っていた矢先のことだったので、色々な気持ちがかけ巡りました。当番の時間が終わり、交差点を挟んで立っていたので、赤になって待っていた私に、もう行っていいよというサインを送ってくれたのですが、青になるまで待っていたら、走ってこっちに来てくれました。「色々と教えて頂き、ありがとうございました。お疲れさまでした。お元気でいてください。」そう言って深くお辞儀をすると、ややびっくりされ、同じ温度で深くお辞儀をしてくれて。道行く人は何事かと思ったと思います。人との関わりはほんの一瞬で終わってしまうこともある。それでも、助けられたという気持ちを伝えたかった。新天地でもお元気でと。そんな気持ちを温かい笑顔で受け取ってくれた素敵なお母さんでした。
その旗振り当番の最中は、息子と同級生のちびっこ達が、やたらと絡んでくれて。「もうマフラーしているの?」「これはね、ストールなの。日焼けしない為だったりね。」男の子に話しても分からないか~と思いながらバイバイ。その後も「○○君のお母さん!」と何人もの子に手を振られ、小学生可愛いなと改めて思いました。
小学校で勤務していた頃、用務員さんが可愛がってくれて、仕事終わりにカフェに誘われたことがありました。お話を聞く中で、女手一つで娘さんを育てたことが分かり、中に通った芯の強さを垣間見せてもらったようで。「先生さ、図書室にくる子は何でもないふりしてくる子もいるんだけど、本当は内面で色々あって、誰かと話したいと思っている子も沢山いると思うんだよ。用務員を何十年もやっていて、そんな子供に沢山出会ってきたから分かるんだ。先生が図書室にいるということで、目には見えなくても救われている子はいっぱいいる。そのことは覚えていてね。」用務員さんの児童を思う気持ちが、堪らなく染みました。
そして、雑談の中で伝えてくれて。「もう働いている娘にね、修理に出した時計を取りに行ってほしいと頼まれて、代わりに行ってきたの。店員さんに名前と時計のブランドを聞かれて、どうしてもブランド名が出てこなかったから、おもちがぷく~っと膨れているのに似ているのですと伝えたら、『あ、OMEGAですね!』って言われて、恥ずかしかったわよ。」って笑って話してくれました。
こんな風に笑えるようになるまで、どれだけのご苦労があったのだろう。今話してくれた日常がどうか続いてほしい、そんなことを願った優しいカフェの時間。