沢山の気づき

夏休み前、慌ただしくシェアオフィスに行くと、不動産関係のお仕事をされていたHさんが移転前の最後のランチに誘ってくれました。嬉しいやら、ちょっと切ないやら、いろんな気持ちを抱えながらお店で待ち合わせ。いつものように「お疲れ様です。」とお互いがご挨拶し、楽しいランチの時間がやってきました。そういえば、引っ越し直後、事務的なことに追われ、シェアオフィスに行く時間はなくても、彼がお客さんの所に向かう前、時間を合わせてランチをさせてもらったこともあったなと懐かしくなって。「○○さん、前よりも元気になりましたね。治療もあるから、弱っている時は誰にも会いたくないかもしれませんけど、元気のない姿も見せてくださいね。僕も沢山助けられてきたんで。」そんな言葉が嬉しかった。そして、お別れランチの時、さりげなく聞いてくれました。「最近痩せました?」と。バレた!!「薬の影響と、天気の変動に体がついて行かなくて食欲ないんです。」「心配ですね。僕の新しい税理士事務所、広くてデスクもひとつ余りそうなので、そこの席で○○さんがシェアオフィスとして使うのもありなんじゃないかと思っていて。」と冗談で言われ、想像したら一緒に笑ってしまいました。「いきなりしれっと知らない人が入って、デスクを使っていたら、事務所の方達びっくりしますね!あ、でも所長さんとは挨拶させてもらったことはあります。」「だったら使っちゃってください!」「良くないですってば!」と大盛り上がり。いつも気にかけてくれてありがとう。お互いもう少し落ち着いたら、ランチしましょうねと約束し、お別れ。彼とのご縁は、切れない予感。一生の友がここにもいた。

久しぶりの主治医の所へ、また電車とバスを使って行ってきました。先生の醸し出すオーラが、澱んだことは一度もなく、明るい色に座る前から自分が楽になっていくようで。いつものように、最近の体調を聞いてもらった後、触診はなく、その理由を教えてくれました。「コロナの患者さんが増えると、触診ができなくなってしまうんだよ。」その言葉を聞き、急に頭の中で色々なことが繋がっていき、何とも言えない気持ちがこみ上げてきました。2年前、コロナの患者さんが増え始めた頃も、触診が何度かなかったことが思い出されて。その後、少し落ち着いてきた頃、下腹部の触診で先生の顔色が変わり、子宮の異変に気づいてくれました。「おかしいな。前回は気づかなかったんだけどな。できるだけ早く婦人科で診てもらってきて。子宮筋腫かもしれない。」そう言われ、動揺しながら翌日たまたま予約が取れた婦人科で、卵巣嚢腫が酷くなっていることが判明。「どうしてここまでになるまで放っておいたの?」とおじいちゃん先生に軽く怒られ、悪性腫瘍の可能性もあるからすぐに検査して手術だと言われた時に、沢山の後悔が押し寄せてきました。多少なりとも異変を感じていたのは事実、それでも高いストレスが日常の中にあり、その影響で出ている痛みだと思い込もうとしていました。それから、無事に手術は終わり、まだ後悔の気持ちが抜けきれないまま主治医の所へ久しぶりに行くと、電子カルテで全てを知っていた先生は伝えてくれました。「大変だったね。僕がもっと早く見つけてあげられていたらな。」その言葉を聞いて、泣きそうになり、見つけてくれた先生にどれだけ感謝しているか分からないのに、主治医はもっと早期に発見できていたら、手術は避けられたかもしれないと思ってくれていました。その2年後、ようやく気付けたことがあって。主治医が早期発見するのは無理だった、だって、コロナの影響で触診が飛ばされていたんだから。下腹部の異変に気づいた時、先生が前回は気づかなかったと言っていた前回とは、実は結構前の話だったのではないかと今さら分かりました。コロナ禍で、大きな病気に気づくことが遅れてしまっている方、沢山いらっしゃるのではないか、それを思った時、ほんの少しでも異変を感じたら迷わず診てもらうことを躊躇わないでとこの場で言わせてください。主治医は、私の後悔もひっくるめて丸ごと包む治療をしてくれています。だから私もその気持ちをここで、撒かせてもらおうと思います。あなたの心と体、どんな時も大切にするんだよと。

色々あり過ぎて、忘れたふりをしていた乳がん検診。2年前の検診で乳腺の経過観察が記されていたことが頭の片隅にあったものの、落ち着いてからとずるずるきてしまい、私は息子の母親だと、もうこれ以上後悔を重ねたくないと思い、市の検診に行ってきました。何事もありませんようにと願い、ようやく検査結果が郵送され、はさみで開ける手が震えて。その時なぜか手術日当日のネネちゃんのメッセージを思い出しました。Sちんは大丈夫、良性だ。そこには姉にしか分からない自信のようなものがあり、妹はいつもおじいちゃんとおばあちゃんが守ってくれているという確信があるようでした。それを思うと、ネネちゃんの気持ちが嬉しくて、少し力を抜いて封書を開けると、『精検不要』の文字が。ほっ。久しぶりに安堵できた気がして、様々な気持ちがこみ上げてきました。52歳、通っていた個人病院の外科でたまたま見つけてもらった祖母の乳がん。その時まだ私は生後間もなく、8年間の闘病の隣で成長しました。祖母の治療は重く、他の病気も併発したことがなんとなく分かると、幼稚園の中で泣きそうになって、理由を話すとみんなが慰めてくれました。生きる為に、またおばあちゃんは辛い治療が待っているんだなと思うと、悲しくて。病気になって丸くなった祖母は、健康でいることの喜びを目一杯孫に伝えてくれようとしたのではないかと、今になって思うのです。戦後、無傷で帰って、精神的に荒れた祖父を支え続けた祖母。そのストレスは自分自身に向かい、時に母に向かっていたのかも。それでも、彼女から流れていたものは優しい強さでした。頑張って闘病してくれたからこそ、祖母との思い出は沢山増えました。1日の重さ、一緒に笑えたこと、道端を散歩し、お金じゃない幸せを私はきっともらっていたのだと思います。その気持ちを胸に、『さくらdeカフェ』のカウンターで笑うことにします。どうか今日も明日も良い1日を。雨の日でも、みなさんの心が晴れますように。