佐賀日和

葬儀場の駐車場へ着くと、外で待っていた父の姿が見え、ドアを開けると母が駆け寄ってきました。「よく来てくれたね。」と。両親を立てる意味でも向かったこと、それを多少なりとも感じてくれたのか、負の感情はぶつけられずほっとしました。告別式が終わったら、新幹線の時間もあるから帰らせてもらうねと伝えると分かってくれて。そして、葬儀場内へ入ろうとすると、外でタバコをふかしていた札幌の叔父と目が合い、お互い微笑んでご挨拶。いろんな気持ちが巡る前に、母に急かされ葬儀場へ入り、喪主で父の一番下の弟である佐賀の叔父にお悔やみを伝えました。そして、隣には看護士だった叔母さんも。懐かしい匂いがしました。23年ぶりの再会、堪らない時間を過ごし、どんな気持ちで帰りの電車に乗るんだろうな。ぎゅっと詰まったやわらかい一日の中へ。

挨拶もそこそこに、親族一同で写真を撮ろうということになり、みんなで一枚の写真に収まりました。すると、後ろから声をかけてくれたのは喪主の叔父さん。「S、大学?」「ん?」大学での勤務はもう終わっているよと思っていると、再度伝えてくれました。「最後に来たのって大学の時だっけ?」「そうなんだよ、もう23年経ったよ。なかなか来られなくて申し訳ないです。」「よかよか。遠方からよく来てくれたね。」といつも穏和な叔父がそこにはいました。姉と小学生の頃、二人で祖父母に会いに来た時、まだ実家暮らしだった叔父は、車で駅まで送ってくれたことも。私達は佐賀駅だと想像していたのに、車を飛ばし、なんだか距離が遠いなと思っていると、着いたのは博多駅。サングラスをかけ、声をかけづらい雰囲気だったのでそのまま車に揺られていると、できるだけ乗り換えが少ないようにと送ってくれた少しクールな叔父さんを思い出し、時の流れを感じました。もう40年近く前のこと。そんな感慨にふける間もなく、荷物を置く場所を促され、久しぶりに会う従弟達に挨拶し、叔母さんにお礼を伝えることに。「手術の時、叔母さん達が心配してくれていたと聞きました。ありがとう。」「いいのよ。私もね、50歳の頃子宮も卵巣も全部取っちゃったの。年齢的にも全然違和感なかったんだけど、Sちゃんは若い時に取ったから反動が辛いよね。」と経験や看護士さんとしての視点で伝えてくれたので、胸がいっぱいに。叔母さんとは義理の関係、それでも近くにいてくれようとする、やっぱり血の繋がりが全てではないな、そう思いました。その後、棺桶に入った祖母に会うといろんな感情がこみ上げて。すっかり痩せてしまったけど、おばあちゃんの強さが残っていてそれが嬉しかった、とっても。そして、告別式が始まりました。祖母の思い出の写真が美空ひばりさんの曲と共にスライドで流れ、その中に姉や私がまだ小さかった時に家の前で撮った祖父母との時間が映し出されて、どっと溢れました。おばあちゃんはずっと持ってくれていたんだなと。姉と二人で遊びに行った時、お腹が空いて祖母が作ったきんぴらごぼうを味見だと言って、夕飯前に姉妹で全部食べてしまったことがありました。怒るどころか、祖母は笑い、そして一品足りなかった祖父もまた、事の顛末を一緒に笑ってくれて。そんなひとときが、姉や私にとってはかけがえのない宝物でした。親の顔色を見てビクビクしていたそんな空間とは、全く別の世界でした。名古屋に戻る前夜、姉がお手紙を書こうと提案してくれて、二人が寝静まった後、こっそり起きて小さな明かりで泣きながら書きました。『いっぱいいっぱいありがとう』いろんな思いがあり、沢山の言葉は書けなくて、おじいちゃんがいつも使っていた手帳にこっそり二人で入れることに。そして、寂しさが膨らむ中でお別れをし、ゆっくり名古屋に帰り、無事に着いたよとまだ昭和のぐりぐりのコードが付いている電話からかけました。「手紙読んだよ、ありがとう。」「うん、うん。」電話の声は遠いのに、おばあちゃんの心は近く、それが嬉しいような寂しいような何とも言えない気持ちが押し寄せ、重たい受話器を持ちながらこっそり泣きました。会う回数は、遠い分少なかった、でも、だからこそ濃密でそこに優しさが沢山詰まった大切なひとときだったのだと、お経を聞きながら改めて思いました。ご焼香をし、親戚にも参列者の方達にも一礼。母が父の隣に座り、丁寧にお辞儀をする姿を見て、来て良かったなと。そして、棺桶を開け、お花を添える最後のお別れの時間。そこにはスライドで流れた写真があり、一緒に入れるからと従弟が促し、受け取った姉が一枚の写真を私に渡してくれました。それは、ネネちゃんと私と祖父母が写る大事な思い出でした。そっと、祖母の手元近くに添え、「おばあちゃん、ありがとう。」と伝えると、ダム決壊で滝のように涙が溢れ止まりませんでした。そして、花を持った父もまたひと言。「ありがとね。」祖母に向けたその言葉が、どれだけの愛と感謝に満ちていたことか。92歳まで生きたおばあちゃん、どうかあの世でも沢山の笑顔で溢れますように。

そして出棺の時、手を合わせ、見送りました。叔母さんに、火葬場まで行けずごめんなさいと、感謝を伝えました。「これまでおじいちゃんとおばあちゃんを支えてくれてありがとうございました。」と。言葉と共に大粒の涙を流した私を見て、気丈に振舞ってくれていた叔母さんの目にも涙が光って。「体大丈夫?遠くから来てくれてありがとう。おばあちゃんね、強かったの。でも、おじいちゃんが先に逝って、喧嘩相手がいなくなって元気が無くなっちゃったのかもしれないね。今日はあたたかい日で良かった。本当に気を付けて帰ってね。」私だけでなく、そこにいる親族にさりげなく伝えているような、そんな叔母さんの優しい眼差しに胸がいっぱいでした。この人は、看護士として大勢の患者さんを見送り、お一人お一人の生の美しさを感じてきた人なんだろうなと。空を見上げると、やわらかい冬日和、おばあちゃんらしいなと思いました。みなさんに挨拶し、最後に、札幌の叔父の前に行くと、やっぱり涙が溢れて。「叔父さん、久しぶりに会えて良かった。」「うん、叔父さんも。」そう言って微笑む表情を見て、一気にいろんな場所が頭を過ぎりました。初めて会ったのは高校生の時、実家で奮闘する私に気づき栄でデートしようと外に連れ出してくれて。そして、大学卒業前に東京観光に呼んでくれました。私も関東に住み始めた時は渋谷で待ち合わせ、二人で飲み楽しい時間が待っていて。そして、単身赴任を終え、札幌に帰るから最後に会いたいと連絡をもらい、新宿の駅でさよならカフェが待っていました。息子と旭川に行った時、この特急に乗れば叔父さんに会えると思っても、心配かけるだけだと掲示板を見た後背を向けることに。栄のテレビ塔、東京タワー、渋谷のハチ公、新宿南口の景色、そして旭川駅、叔父さんが目の前にいて、一気にいろんな場面が流れ、感無量でした。会えて嬉しかった、この一瞬を幸せと呼ぶのだろう。みなさんにお礼を言って、ネネちゃんが送ってくれる車に乗り込みました。ね、佐賀日和、もう少しだけ旅は続くよ。