英語では、I’m doing the best.この言葉を結構簡単に使ってしまっていたかも。でも、実際の私はどうなのだろう。
母の二度目の入院前、一波乱あったので、母の自宅にも私は行かないだろうと思っていると感じていました。それでも、手術後に病院まで会いに行き、母のマンションの換気や掃除に行くと、和室にはメモ用紙と、私が以前届けたカレーのタッパーと、息子の大好物のゼリーがてんこ盛り買ってありました。『これ、持って帰ってね』と。
母は最初から分かっていたよう。どんなに怒って病院に顔を出さなくても、マンションの雑用には来てくれる。それは、甘えではなく、私の性格を知っているから。そして、空振りに終わってもいいように、生ものではなく日持ちのする長細いゼリーでした。息子のマイブーム。
以前、関東に引っ越した母と、全然分かり合えなくて大喧嘩をしてしまい、そのまま放っておけばいいのに、翌日になって心配になり、自分から電話。「昨日のことは置いておいて、とりあえず会いに行くよ。」と。これは多分、長所であり短所でもあることは、なんとなく理解していました。
時間が流れ、私の誕生日になり、母が創作料理のお店で祝ってくれた時のこと。「あの喧嘩の時のこと覚えてる?あなたとこじれて、本当に悲しかったけど、そのことから一旦離れ、心配して会いに来てくれたことが何より嬉しかった。この子は、何かが違う。本当に情が深い子なのだと思ったよ。自分が怒っていても、相手を気遣う。なかなかできることじゃないから。」
母は私にずっと甘えていたわけではなかった、こういった部分、見てくれていたのだと、それが分かるから頑張ってしまうのねと、二人で笑い合った記念日。
母は多分、今でもそのことを覚えている。そして、もちろん私も。
病院へ、父経由で頼まれていた物を届けに行き、ゼリーをありがとうと伝えると、「気付いたのね!」と笑っていました。なんだかジーンときた。あなたは必ず行ってくれると思っていたよ。顔がそう言っていました。
それから、頼まれていたおせんべいを渡し、談話室で、「どうしておせんべいが食べたかったの?」と聞いてみると、意外な答え。「○○さんがいつもおせんべいをくれるから、お返しがしたかったの。4人部屋だから皆さんにもあげたくて。入院中は食べることが楽しみなんだけど、制限もあるから迷惑にならないものをと思ってね。」
仕事中の父から電話が入り、「できるだけ高級な海苔が付いたおせんべいが欲しいんだって。」「なんで高級海苔??お母さん、そんなこだわりあったっけ?」と二人で笑い、電話を切った後、仕事中にそんな内容でかけてきて大丈夫?と余計な心配。
母の律儀な所は、以前から同じ。職場の雰囲気が伝わってきた父からの電話で、銀行時代の話を思い出しました。「社内恋愛をしていたお父さんにデートに誘われていたのに、1円がどうしても合わなくて残業になってね。1円の為にお父さんを待たせて気が気じゃなかったわ。」
今度、最善を尽くすのは父の番。でも、私はいつも最良の補欠でいるよ。