好きな居場所

息子との夕飯は、いつも夕方のニュースを見る時間。嬉しい情報や悲しいニュース、日本国内だけでなく、世界で何が起きているのか、何を思うのか、何気なく話すひとときになっていました。そんな中、なぜか空港の話になって。「飛行機に危険なものは持ち込めないから、セキュリティチェックが厳しいんだよ。以前にね、お母さんの化粧ポーチの中に小さなはさみを入れたままで、それが引っ掛かって没収されたことがあったの。」「え~!」「スーツケースに入れておけば良かったんだけど、たまたま手荷物に入れてあってね。」それがいつのフライトだったか記憶を辿ってみると、初めてカナダに行った時のことでした。カルガリー空港で姉とホストママが待ってくれている、そこできちんとメイクをして会いたいという気持ちからでした。それでも、9.11のテロの影響でフライトは遅れ、バンクーバー空港も混乱状態、カルガリー空港に着いた頃にはへとへとで、機内でメイクを直す余裕すらなく、感激の再会も束の間、ネネちゃんに伝えました。「もうね、とにかく大変だったの。話は後でするから、とりあえずメイク直しをさせて~。」と言うと、笑いながらホストママに訳し一旦バイバイ。母と二人で、ダッシュでトイレに駆け込み、半分取れかけたメイクを直してようやく落ち着きを取り戻し、ご対面。「Nice to meet you!!」さっき会ったやろ!という姉の心の中のツッコミが聞こえ、私と母の慌てぶりに二人で笑ってくれました。「あのね、K君が深夜の方が車は少ないから夜に出るって言ってくれてね。朝に成田空港について、かなり遅れて夜の便でようやく飛んでくれたの。バンクーバー空港でも、何度も質問され、乗り換えもぎりぎりだった。だから、全然余裕がなくて、これは名古屋でしたメイク。今何時?」と言いながら自分の腕時計を見て、「あ、だめだ。日本時間だった!!」と一人芝居をしていたら、ネネちゃんが大爆笑しながらホストママに状況を説明してくれました。「あなたの妹、面白いわねって。」いやあ、もうね、笑っていないとやってられない。この数日で、沢山のことがあったんだ。だから、あなた達に会えて嬉しい、とっても。そんな出来事が息子との会話で思い出され、空港にもまた様々な出会いや別れがあるのだと思いました。旭川までのフライトが目前に迫った息子のわくわくが、はち切れそうだった羽田空港も忘れることはありません。そして、カルガリー空港での出会いや別れも。

そんな“社会”という教科の面白さを教えてくれたのは、紛れもない中学時代の恩師でした。担任ではなかったものの、3年間社会科を担当、そして生徒会の会議にも参加していた時のこと。1年の前期にクラスの議員になり、後に生徒会長になる野球部の男子と生徒会室に向かいました。先輩達が、牛乳パックなどの資源を学校で集め、そのお金をどこかで役立てることはできないだろうかと提案。集める曜日をここで話し合おうという流れになり、同じクラスの議員君と意見交換することに。「真ん中の水曜日が分かりやすくていいんじゃない?」と私。「いや、木曜日がいいんじゃないか。牛乳パック、紙、木。俺達がやっていることは資源を大切にしようという意味もあるから、木が入っている木曜日がいいと思う。」そのスマートな発想にこちらが感嘆の声を上げると、周りにいた他の議員も聞いて盛り上がるので、その話が遠くで様子を伺っていた社会科の先生にまで届きました。そして、席を立ちみんなに届けてくれて。「今ひとつの意見が出た。資源を大切にするという意味で、木が入っている木曜日がいいんじゃないかと。これは、1年A組二人の意見だ。みんなどう思う?」それいいね!と先輩達も満場一致であっさり決まりました。先生はこちらの様子を見ていたから、彼が発した言葉だと分かっていたはず。それでも、二人で話し合った結果の意見だと優しさをさりげなく向けてくれたことが分かりました。なんだかその気持ちが嬉しかった。
その後、サッカー部顧問でもある先生は、部員全員を陸上部へ送り込みました。そして、陸上部総監督は、体育の教員でもあり野球部顧問の先生。社会科の先生は、1歩引き、主にフィールド競技を担当してくれたので、走り幅跳びを選んだ私の指導もしてくれることに。サッカー部は全員トラック競技で、徹底的に走り込めという先生のメッセージであることも感じていました。そして、馴れ合いにならないように敢えて部員から離れるフィールド競技の担当になってくれたのかなとも。その先生と沢山の会話を交わし、試行錯誤しながら練習を重ね、3年生でようやくユニフォームを着てレギュラーになりました。そして、春の大会前夜、事件が起きることに。父が、祖母が姉や私の為に貯めていたお金を使い込んでしまったよう。気がおかしくなった母は、姉や私に、どうして使ってしまったのだと父の前で泣きなさいと伝えてきました。あほらしいと思いながらも、実行。悪びれもしない父、その光景を見て大袈裟に何があったの?とやってきた母。姉は冷めきり、私は両親のことが悔しくて眠れませんでした。そして、本番当日。コンディションの良くない中で、全てのことを振り切ろうと走ったのだけど、赤旗が上がり、思うように結果が出せず、予選敗退。あまりの悔しさに涙が溢れ、共に3年間戦ってくれた友達が予選を通過したのに、応援することができませんでした。それに気づいた社会科の先生がそばに駆け寄り、伝えてくれて。「結果が出なくても、Sがやってきた3年間を後輩達は見てるぞ。ずっと一緒に練習してきた仲間を応援しろ。それが今のSにできることだろう。」そう言って、背中を叩いてくれたものの、先生が伝えてくれた思いも分かるけど、もうどうにもならない気持ちが溢れ出し、顔を上げることができませんでした。先生には言えなかった、前夜にそんなことがあったことを。誰にも言えなかった、この日に賭けてきたことを、どれだけ近くで応援してくれていたか知っていたから。でも、もし先生に伝えていたらなんと言ってくれただろうと。「家庭内で辛いことがあったのは分かった。でも、俺はSの顧問として1日も練習を休まずここまで来たことを知ってる。結果がついてこなくても、Sが積み重ねたことは消えないんだよ。その時間を忘れず、大人になってほしい。よく頑張ったな。」そう言ってくれたのではないか。それを思った時、少しだけ吹っ切れた気がしました。「だからSは今でも、スポーツ観戦が好きなんだろ。悔しさが胸にあるって、アスリートの苦悩の近くにいるって大事なことだと思うぞ。」恩師の声が聞こえてきた気がしました。先生が教えてくれた“社会”、大切にします。

息子が好きな公園で、毎週末本気のキャッチボールをしていたら、ボールが砂場に転がっていきました。恩師と沢山語り合った砂場もまた、自分の居場所だったのではないかと思えて。ユニフォームを着て、大会本番の砂場に向かう私を見送ってくれた先生、感謝で目が潤みそうな空の景色を思い出した。心に残しておきたいのは、その時の気持ち。