渋谷で行われる予定だった阪神大震災の復興の集いを、今年は諦め、自宅で祈ることにしました。どんな気持ちで神戸出身のプログラマーMさんと待ち合わせ、その場に向かおうかと1年考えてきたので、行けないことがもどかしいですが、それでもこの場でできることがあるような気がして、今パソコンの前に座っています。
Mさんが教えてくれた私の特性であるHSP(人一倍繊細な人)。それを調べる中で、映像などが強い刺激となり、インプットされて消えないこともあると知りました。15歳に見た時の震災の映像は、あまりにも衝撃的で今もずっと心に残ったままです。
そんな私が、関西の大学に司書教諭資格取得の書類審査を待っていた頃、夫とまだ1歳の息子を連れて公共移設に出向きました。いつものキッズルームを使わせてもらおうとすると、演奏が聴こえてきて、仲良しのスタッフさんに尋ねてみると、ある楽団の方達が練習に来ているとのこと。「センター長に聞いたら、練習の様子を見せてもらえると思いますよ~。」と明るく言われたので、なんだか楽しそうだなと思い、目の前を通過したセンター長にお願いをしてみました。すると、ちょっとお待ちくださいねとやんわり言い残し、わざわざホールのドアを開けて、指揮者の方にお願いしに行っているじゃありませんか。しまった!と思った時には時既に遅し。「ああ、いいっすよ~。」と随分ラフに指揮者の男性が快諾してくださっているのが分かり、恐縮しながら端の方へ入らせて頂きました。ご丁寧に椅子を持ってきてくれたのは、先程の女性スタッフさん。こちらがタジタジの様子を半笑いしてくれていて、やってくれたなと思いました。たまには周りを巻き込んでリラックスしないと、Sさんいつも気を張っているから、顔にはそう書いてありました。
そして、気持ちよく演奏を聞いていると、指揮者の方に「自己紹介を!」といきなり振られ、「以前図書館司書をやっていた○○です。よろしくお願いします。」と場の雰囲気で明るく挨拶をすると、皆さんに笑顔で拍手され、なんて温かい人達なんだろうと思いました。その後、せっかくなので写真を皆さんと撮りたくて~と休憩中に恐る恐る指揮者の方に言うと、快諾してくださり、みんなが楽器を持って集まってきてくれました。笑顔なんだけど、そんな一瞬に涙が溢れそうになり、カシャリ。本当に忘れられない時間でした。演奏会にも呼ばれたのですが、名古屋に帰省しなければならず、その代わりにホームページからお礼のメッセージを送らせてもらいました。すると、こちらが残しておいたSNSの情報から二人の団員の方が返信をくださっていて。その一人が集合写真を撮ってくれた女性のカメラマンさんでした。すっかり仲良くなり、他の沢山の団員の方達とも繋がり、そして翌年の練習にも呼ばれました。その中で、とてももがいている一人の男性がいました。それがMさんでした。投稿がとっても苦しそう、でも言葉をかけられるような関係でもなく一人逡巡。そんな時、司書教諭の試験が二連敗という現実を目の当たりにしました。もう投げ出したい、あんなに頑張ったのに。そんな気持ちを抱いていると、Mさんのことが蘇りました。ひと言だけ、ひと言だけ送ろう。そして勇気を出して送った直メッセージ『私も頑張るから、Mさんも頑張ってください』。いきなりそんなメッセージが飛び込んできて、相当驚いたことと思います。それでも、それだけの文章で何かを感じ取った彼は、温かく受け取ってくれました。
その後、公共施設のドアを開けると、楽団の方達と感激の再会。カメラマンの友達とハグをし、みんなが歓迎してくれました。練習後半になり、指揮者の方に耳打ち。少しだけお時間を頂けないかと。こちらの意図を感じた彼は、にっこり頷き、終わりがけに私に時間をくれました。皆さんの前に立ち、届けたかった気持ち、全部を伝えることに。待機児童になり、声がかかっていた仕事を断ることになったこと、悔しくて司書教諭の資格を取ろうと思ったこと、何にそんなに頑張りたいのだろうと深夜に自分に問いかけ泣いてしまったこと、でも皆さんに沢山励まされて迷いは無くなったこと、だからお礼がしたいと伝え、一冊の本の2ページを朗読させてもらいました。手が震えてしまい、深呼吸をして読み始めると、びっくりする程の静寂がそこにはあって、息を飲んでくれているのが分かりました。読み終えると、鳴りやまない拍手が。そして、指揮者の方が感動と共にみんなに伝えてくれました。「楽団をやっていて良かった。」と。その時、打楽器の場所で、立ったままそっと涙を拭いている男性、Mさんが見えました。男泣き、なんだか堪らなかったです。ここまでくるの、大変だったんだろうなと。
それから、友達としての関係に深さが増し、このサイトを立ち上げてくれました。彼が神戸出身だと知ったのはいつだっただろう。悲しいことも笑いに変えていく、そういった地域性なんだよ。いろんな角度から、色々な話をしてくれて。そして、改めて震災について今思うことを仕事中に聞いてみました。「亡くなった方と、理不尽に会えなくなるということを受け入れることはやはり難しいですね。復興は続きますよ。人が人を思う限り街は死なないです。消してはいけないですね。」
神戸にいてくださる読者さん、神戸出身の読者さん、神戸周辺の街を想う沢山の方達、届いていますか。15歳の時に見た映像を、その時受けた胸の痛みを私も忘れないでいようと思います。
出会いを大切に、自分の心を守りながら進んでいく。
1.17一緒に祈ります。がんばろう、神戸。