休校になってから、釈然としない息子が先生に会いたいと言い出したので、だったら手紙を書こうとアドバイスを送ると、嬉しそうに頷いてくれました。「先生、喜んでくれるかな~。」なんて言いながら書き始めた様子に胸が熱くなった朝の時間。折り紙に文字を書き出し、その下に大きな紙を敷いて、はみ出してもいいよう一生懸命に絵も描いていました。「頑張って書いたら、先生が褒めてくれるかもしれないから。」ぼそっと呟いたその言葉に、ありがとうの気持ちが抑えきれませんでした。書いた手紙を満面の笑みで見せてくれた、その内容を読んでさらに感激。『先生、だいすき。いつもべんきょうおしえてくれてありがとうございます。またあいたいです。』先生と自分の似顔絵付き。ダイレクトで伝わる息子のメッセージ、届きますように。やっぱり素直がいい。学校の先生をやっていて良かったと、張り詰めた先生の心が解れたらいい。
何気なく手に取ったスマホで、閲覧してみたラガーマンTさんのSNS。そこに書かれたさりげない言葉に助けられたような気がしました。『学校が休校になって1人になっちゃう児童たちを、トップリーグのチームがラグビー教室とかするのもよくないのかな?』学校が休みになる程だから、人が集まるイベントを避けるべきなのは十分わかっていて伝えてくれたメッセージ。小さな子供を持つ親として、沢山のボランティア活動をしているラガーマンとして、何かできないだろうかと考えて届けてくれた彼の言葉に、小1男子の親である私は胸がいっぱいでした。こういった気持ちが、“母親”の心を軽くしてくれるのだと知ってくれている人。彼の人柄が全面に出ていて、あまりシェアオフィスに行けなくても嬉しくなった貴重なひとときでした。勝手に添付してしまったら怒られるかな。それでも、対談させてもらった時に確認はさせてもらいました。いずれTさんのことは気づかれてしまう可能性があるのですがいいですか?と。「僕、色々な所でプロフィールも載せているので、大丈夫ですよ!」なんだか器がでかいし、温かい。
私がまだ岐阜の小学校へ通っていた頃、学校から帰ってくると、山盛りの栗むきをしている母がいました。「何してんの?」と驚きながら聞いてみると、さらに驚くような返事が。「隣の玄関前で、大量の栗を持って困っている男性がいたの。思わず聞いてみると、どうやら隣の奥さんが栗むきのパートをやっていたらしく、追加のお願いに来たら留守だったのでどうしようかと思っていたみたいで。それで、奥さんもやってみませんかって声をかけられて、なんとなく引き受けてしまったの。」ははっ。そんなこともあるんだね。っていうかただのお人よしじゃないか!と内心思いつつも、楽しそうにやっていたのでまあいいか。岐阜の山奥にある社宅。栗きんとんが有名な地域でした。友達の家に遊びに行くと、そのお母さんも栗むき。私の個人的なデータではその当時、3人に1人のお母さんが栗むきをしていたような。ご当地ならではの仕事。知らない土地に慣れるって大変だけど、その地域ならではのものを楽しめることは、どこかで心に余裕ができた証。栗の香りが漂った我が家も好きでした。そんな母は、社宅で揉めてしまった奥さん達の仲裁役に。決して器用じゃないのに、自分のことで精一杯のはずなのに、少しでも役に立ちたいと思っている母の人情的な姿も悪くないと思いました。同じ銀行、同じ支店、その奥様達と母なりにうまくやっていこうと頑張っていた後姿もしっかり覚えていて。母の器って、多分そんなに大きくない。それでも深さはあったのではないかと、細いからすぐに溢れ出してしまうけど、深い所には届いてくれるそのホールはあったのではないかと思っています。
5年生の2月、父の転勤が丸3年経った時、愛知の支店に戻ることになった小学校最終日、沢山できた友達とのお別れがとても辛く、沢山の気持ちを抱えながら、一番のお気に入りの服を着て皆にお別れの挨拶をしました。そこへ半泣きしながらやってきた母。「お世話になりました。」とクラス皆の分のサンリオノートを担任の先生に渡す姿を見て、余計に泣きそうに。私も大変だったけど、母も同じように大変だった。それでもこの地で頑張れた。だから、皆にお礼を。ありがとうを忘れたらダメ、きちんとお別れしてきなさい。これがうちの母。