いつものように宿題を見た後、息子が凹みながら伝えてきました。「明日苦手な音楽があるんだよ~。だから、学校に行きたくない。あっ、でも理科が二時間連続だった。やっぱり行く~。」単純やな。音楽の重さよりも、理科二時間の気持ちの軽さが勝ったのね。「お母さんも図工の前の日はなんとなく憂鬱だったから分かるけど、苦手なりに一生懸命さを出したら先生に伝わるかもしれないよ。」そんな話をしていたら、ふと岐阜の小学校にいた頃のことが蘇ってきました。その当時は、まだ男の子と女の子が隣同士で席をぴたっとくっつけて座り、席替えをしてよく隣になったのが、“あっくん”でした。そう呼んでいたのは私だけだったものの、本人もまんざらではなかったので、いつもそう呼び仲良くしていて。ある日、校舎を好きな所から描いていいという図工の翌日、まだ下書きだったみんなの画用紙を、担任の男の先生が一枚ずつ掲げて見せてくれました。自信のなかった私は、薄く鉛筆で一部分を描いただけ、さらっと流してくれたのでほっとしていると、あっくんの絵を見てはっとなって。そこには、濃い鉛筆でどの角度から描こうか、描いては消しを繰り返していた跡がありました。すると、一人の男子がひと言。「何にも描けてねーじゃん。」「いや違う。どの視点から描こうか、沢山悩んだ形跡がある。いい絵が描けるぞ。」先生のその言葉を聞き、なんだか嬉しくなりました。太くて濃い線を描き、そこには迷いがなかった。それでも何か違うと思い消した跡に、先生は彼の内面を見てくれたんだなと。今でもその消された絵ははっきり覚えていて、何とも言えない自信のようなものを改めて感じました。そういえば、中学1年の時に出会った美術の先生。みんなが他の課題に取り掛かっても、自分のペースを大切にしろといつまでも人物画を描かせてくれたことを思い出しました。周りは気にするな、その言葉が本当に有難くて。あっくんは、見事な絵を描ききった。でも私は、試行錯誤した彼の下書きが好き。そして、経過の中で見えている世界観を大切にしてくれた美術の先生。その経験が今度はキャンバスではなく、Wordで活かされています。いつか二人に届くだろうか。
中日の立浪監督。小学生の時に、父の影響でドラゴンズファンになった時、いつもヒットを量産してくれて、もしかしたら一番最初に名前を覚えたのは、立浪選手だったかもしれません。応援歌である『燃えよドラゴンズ!』は、その当時、歌詞にも立浪選手が出てきました。ナゴヤ球場の応援席で父に質問。「一番彦野が塁に出て~♪って、彦野選手はどうやって塁に出たんだろうね。」と私。「知らん!」と流されても話は終わらない。「二番立浪ヒットエンドラン♪、お父さん、ヒットエンドランって何?」と小学女子の質問に簡潔に答えてくれた父。日が沈む前からビールを飲み、ナイターの試合が始まると父のテンションは上がり、隣で笑えてきて。「立浪やっぱり打ってくれるな~。」とご満悦の父の横顔に嬉しくなりました。その後、時は流れ、立浪選手がレギュラーから退き代打へ。出番は減り、「代打、立浪。」とコールされ、バットを振り、バッターボックスに立つ度に胸がぎゅっとなりました。いつもそこには、ヒットで次に繋げてくれたレギュラーの立浪選手がいて、父とメガホンを持ち、ナゴヤ球場に行っていた頃の自分が蘇ってきていたから。立浪選手、代打か。切ない私の気持ちとは裏腹に、彼は彼の仕事を全うしていて、凝縮されたその一打席に沢山のものを感じました。どこまでユニフォームを着ていられるだろうか。どこまでチームの為に一点を取れるだろうか。本当にもしかしたら、心のどこかで星野監督を思い出しているんじゃないかなとも思っていて。そして、引退。間が空き、監督としてドラゴンズのユニフォームを着てくれた時、思い出したのは「代打、立浪。」のコールと共に胸がぎゅっとした時のことでした。全盛期ではなく、プロ野球選手として最後にチームに貢献しようとしていた立浪選手の背中を見て、励まされていたことに気づきました。ミスタードラゴンズ、小学生の私を野球漬けにしてくれた大好きな選手、多分父と一番紙吹雪を撒いたのは立浪監督だったんじゃないかな。テレビ画面に映る度に、優しい思い出を運んでくれてありがとう。
「ママ、中日の中で一番好きな選手は誰?」今はあまり詳しくないんだよな~と思いながら、一番最初に頭に浮かんできた投手がいました。「大野投手。東京オリンピックの日本代表でもあったんだよ。Rは?ヤクルトで誰が好き?」「村上~。よく打ってくれるから。あと、山田~。ママが好きな青木は左バッターでママと一緒だね。ボク、その三人はつば九郎に教えてもらったから知ってるの。」ああ、画用紙に書いて説明してくれるからね。「ママと観に行った試合、ピッチャーがランナーにぶつかりそうになって、ちょっと謝るそぶりを見せて、あのピッチャー優しかったね!」「サイスニード投手だね。いい光景だったね。お母さん、見た目がサンタさんのようだなって思ったよ。」「確かに!」そう言って大盛り上がり。今の現役選手が、いつかヤクルトの監督になってくれた時、息子は一緒に観戦に行った日のことを思い出してくれるだろうか。辛いことばかりじゃなかった、そこに確実にあった小さな幸せを集めて行ってくれたなら。息子が社会人になり、プロ野球の音がテレビから聞こえてきた時、最初に何を思い出すだろう。ヤクルト飲料が好きな彼が、ヤクルトという球団があることに歓喜した瞬間だったら、ちょっと面白い。お母さんは、つば九郎を一生懸命撮っていたあなたの後姿を覚えておく。