いつも全てのことに意味があると思っていて、今回も思いがけないことが起きました。それは、今年のドラフト会議当日。
その日は息子の新しい小学校で健診があり、友達と盛り上がっていうことを聞かなかったので、へとへとで帰ってきました。夕方からのドラフトは絶対見逃したらいけないと思いつつ、息子が相変わらずいつも見ている番組を楽しそうに見ていて、終わってからにして~と言われたので、仕方なく夕飯準備と洗濯物を畳んでいました。終わると慌ててチャンネルを変えたら、既に左上には『根尾選手中日が交渉権獲得へ』の文字が。もう終わっていたの?というショックと、与田さんが引き当てたんだという喜びが同時にこみ上げて、呆然としました。
29年前は、野球少女に専念できたので、姉と2人でずっとテレビの前に。でも今は、母親という立場になり、子供のことを常に優先させる毎日で、時の流れと少しぐらい強気になれば良かったという後悔が渦巻きました。仕方がないので、ニュースで振り返り、与田さんが引き当てた瞬間を見ていたら、最初からそんな予感がしていたような気がして、読者の方達が私の代わりに見届けてくれたような気がして、なんだかストンと落ちるものがありました。与田さんのスーツ姿がしっくりくるのも、出演していたNHKのサンデースポーツを毎週欠かさず見ていたから。そして、私のスーツフェチに拍車をかけたという事実。
その後、大切な瞬間を見逃したことを挽回しようと、ネットサーフをしていたら、思いがけない文章を見つけました。それは、星野監督と与田新監督のエピソード。
『「星野さんに酷使されたとか、潰されたと言われますが、誰もが1軍の舞台で1球でも多く投げたくてプロに入ってくるなかで、大役を任されたことはつくづく幸せなことでした。僕にとっては恩人であり、大好きな人でした。」阪神在籍時の2000年に引退を決意した際、当時中日監督だった星野氏のもとに、あいさつに訪れた与田新監督。その際、89年のドラフトについて、「なんで野茂でなく、僕だったんですか?」と聞いたそうです。星野氏はじっと顔を見つめ、真顔で、「やっぱり(本当の指名は)野茂やった」・・・しかし直後にこう一言、「剛、俺はお前みたいなやつと野球がやれてよかった。」その答えを聞いた瞬間、「自分もこの人と野球がやれてよかった。」と思ったと与田新監督。』(ニッポン放送、スポーツアナザ―ストーリーより*)
その話を読み、私の中でずっと気になっていたことが、ゆっくりと解されていくようでした。
1年目に働き過ぎたのではと色々な情報が飛び交っていた中で、与田さんは星野監督のことを恩人だと思ってくれていました。2人の絆は2人にしか分からない、それは表に出てくるものではなく、心にそっとしまっておくことなのだろうと。でも、そういったことを今このタイミングで知ることができた。それは、やはりファンとしてずっと応援してきた者として、幸せな瞬間なのだと思いました。
引き当てた大阪桐蔭高校の根尾選手は、岐阜県の出身で、ほぼ地元の中日が引き当てたことに顔が綻んでいる姿を見て、嬉しくなりました。岐阜に転校していた小学校の2年半、私もチャンネルを回せばいつもドラゴンズ戦がやっていて、愛知を離れても野球が地元を思い出させてくれた。辛かったことなんて数知れず。でも、そんなことまで吹き飛ばしてくれた中日戦が大好きでした。
あの最初の1年を与田さんは後悔していなかった。だから、私も上を向く。