日々の生活の中で

いつものように学校の途中までお迎えに行くと、息子がすごい勢いで走って伝えてきました。「今日、一緒に帰ってきたT君と公園で待ち合わせしたの。だから早く帰る!」それはそれは、結構なことで。慌てて二人で帰り、あっさりバイバイ。なんだかもう嵐が去って行ったかのような時間に笑ってしまい、のんびり夕飯準備をしていると、またぜいぜい言いながら帰ってきました。「今日ね、だんだん薄暗くなってきた時間に、公園近くの神社までお参りに行ってきたの。二人で目をつむって手を合わせて、目を開けたらT君が懐中電灯を点けて顎の下で持って、驚かせてきてね。ぎゃーって叫んで、一緒に大笑い。本当にもう、びっくりしちゃったよ!」稲川淳二さんか!と心の中で突っ込みながら、その光景が想像できてしまうだけにこちらも大爆笑。彼らの友情は、どんどん深くなっていく。大好きを大好きで返しているから。

ホルモン治療で気持ちが沈む時に、聴くようになっていた氷室京介さんの曲。彼の歌声を聴いていると少し上がれるような気がして、自宅にいる時はスマホから流していました。ヤクルトがセ・リーグの優勝を決めた後、息子と神宮球場まで試合を観に行った日。バッターボックスに立った一人の選手を見て、息子が叫びました。「あっ!丸山だ!!」友達か!と言いたくなるような自然な呼びかけに笑ってしまいそうになりながら、どうして分かったの?と聞くことに。「ママと観ていた優勝を決めた試合があったでしょ。その時、サヨナラヒットを打ったのが丸山で、ボク背番号を覚えていたんだよ。ヒーローだよね。」その言葉を聞き、胸が熱くなりました。その一打席が、彼の中に強烈な感動を残し、一人の選手を好きになったんだなと。そして登場曲、この曲なんだろう、とても好きだなと思い、自宅に帰った後検索をかけてみました。すると、BOØWYの『DREAMIN‘』(作詞:布袋寅泰、松井五郎、作曲:布袋寅泰)だと分かり、感無量でした。氷室さんがボーカルで、全盛期に解散をした伝説のバンド、初めて聴いた曲が自分の心をまた奮わせてくれるなんて。そのきっかけを、サヨナラヒットを打ったルーキーの丸山選手が作ってくれて堪りませんでした。
まだ、小学生の頃、4歳上の姉がBOØWYを好きになり、カセットテープにダビングをしてよく聴いていました。そして、私も好きになり、姉のいない時に、『ONLY YOU』(作詞:氷室京介、作曲:布袋寅泰)を聴いては巻き戻し、もう一度聞いては巻き戻しをしていることを気づかれ、本気で怒られたことがありました。「ちょっとー!!同じ所ばかり巻き戻していたらテープが伸びちゃうでしょ!」なんて言ったって、カセットテープの時代。ネネちゃんが怒るのも無理はなく、それでも彼女は怒りながらも許してくれるのは分かっていたので、犯行は陰でしっかり行われていました。『B・BLUE』(作詞:氷室京介、作曲:布袋寅泰)も、何度も聴き、男性の優しさを小学生の私は曲からもらっていたのかもしれないなと、なんだか懐かしくなりました。氷室さんがソロで活動を始めても、時々聴いていたのは、姉と過ごした柔らかい時間が今もずっと続いているのだと、そんなことを感じさせてくれているからなのかも。群馬県出身の丸山選手、同郷であるBOØWYからものすごいパワーをもらって、打席に立っているのだと思うと嬉しくなりました。ヒットを重ね、沢山の子供達が愛するヒーローになってください。

ロッテの松川虎生(こう)捕手。佐々木朗希投手が完全試合を成し遂げた時に女房役だったキャッチャーで、二人の信頼関係の深さに胸を打たれました。虎生捕手、名前が素敵だなと思い、少し検索をかけてみると、思いがけないことが判明。『関西がタイガースの18年ぶりとなるリーグ優勝で盛り上がっていた2003年の秋、松川は大阪で生まれた。誕生日の10月20日はタイガースがホークスと日本シリーズを戦っている真っ最中だ。星野仙一監督率いるタイガースが福岡での第1、2戦、王貞治監督のホークスに連敗を喫した翌日、産声をあげた赤ん坊は“虎生”と名づけられた。母方の祖父がタイガースファンだったからだ。』(Number Webより一部抜粋)
だから“虎”だったのね。そんな松川捕手は、阪神で正捕手だった矢野監督に憧れていたんだそう。今年のオールスターゲーム前、矢野監督に挨拶へ行く松川選手の写真を見つけ、胸がいっぱいになりました。憧れの選手を目標にプロの世界へ進み、そこで激励してもらったその時間こそ、松川捕手にとって夢の祭典だっただろうなと。中日でも正捕手で活躍してくれた矢野監督、退任されることがファンの一人としてなんだか寂しく、それはきっと同じ気持ちの方は沢山いてくれて、松川捕手もその一人で、それだけのものを残してくれたからなのだと改めて思いました。中日の大きなメガホンを持ち、「矢野さ~ん!」と叫んだナゴヤ球場。子供の頃の私はちゃんと輝いていて、それを思い出させてくれた矢野監督、ゆっくり休んでください。

姉の子供と遊んだ公園で、甥っ子に質問を投げかけてみました。「少年野球のポジション、どこなの?」「ピッチャー。でも、たまにキャッチャー。」は?と私の頭の上に浮かんだ沢山のはてなマークを見て、姉が笑いながら説明をしてくれました。「いつもはピッチャーなんだけど、調子が悪くなると、キャッチャーと交代になるんだよ。で、そのピッチャーも調子が悪いとまた交代。」「え~!ピッチャーとキャッチャー交代って初めて聞いたよ。そんなことできるの?」「やってるんだよ~。試合で負けると大体二人の責任。メンタル、かなり鍛えられているかも。」そう言って笑ってくれました。ピッチャーの気持ち、キャッチャーの気持ち、経験して分かることはあまりにも大きいんだろうな。「SちんはR君とキャッチボールができるからいいな。それって大きなことだよ。なかなかできないって。」息子と行う本気のキャッチボール。プニプニのボールからテニスボールに変わり、軟式の野球ボールになった。二人で過ごす時間にいつも野球はあって、昨日がもう思い出になっているような日々。10年後、20年後、彼のヒーローは誰になっているだろう。好きな選手が監督になり、退任される時、胸がきゅっとなるそんなひとときを心に持ってくれたなら。自分が歩んできた道は、野球と共にあったことを知る。