急にここ最近冷えるようになり、気持ちが沈まないように、リーグ優勝決定シリーズのマリナーズ対ブルージェイズの試合を点けたら、シアトルのスペースニードルが画面に映り、ちょっと泣きそうになりました。20代の頃から観ていたアメリカのドラマ『グレイズ・アナトミー』、最近は忙しすぎてなかなか続きが観られていないものの、ひとつひとつの話の深さに色々考えさせられて。舞台はシアトル、ストーリーの中で時々映し出されるスペースニードルを見て、いつか行ってみたいと思うように。現実的にはなかなか難しいのだけど、憧れの場所があるって、そこに向かって歩いて行こうと思えるって幸せなことなのかもしれないなと。そして、イチロー選手が付けていた背番号『51』のユニを着たファンの方達を何人も見かけ、東京ドームで行われた引退試合のことを思い出しました。ドームの空気が、感謝や敬意、優しさに包まれていて。寂しさはもちろんあるのだけど、それを越える色々な感情が自分の中に流れ込んできて、感無量でした。去年、息子とプログラマーのMさんと観戦に行った侍JAPANのプレミア12の試合。そこで、スーツを着たイチローさんが登場し、感激しました。スタバの本店もあるシアトルは、やっぱり私の中で特別なようです。長距離フライト、今の体で耐えられるだろうか。
少し前の夜、雨の影響もありなかなか寝付けなかったので、一旦起きるとまだリビング側で寝ている息子に目が留まりました。いつの間にか、こんなに背が伸びていたんだなと。彼の進む道がどうか幸せなものでありますように、いろんな気持ちで祈りました。本当にいつの日か私が先に逝く、その時、ひとりっこの息子に支えになるような友達であったり、恋人がいてくれたらいいなと。二人で地理の教科書を読んでいたら、上海が出てきました。「そういえば、上海はM伯母さん(姉)と行ったことがあるよ。上海のテレビ塔にも上ったの。」「え~!まさか現地集合現地解散?」「それはグアムの方だよ。上海は、愛知のセントレア空港で待ち合わせをして、帰りもそこで別れたの。」「なんで最初から一緒に行かないの?」「元々M伯母さんは航空会社で働いていたから旅慣れしていたし、お互い忙しかったからそんなスケジュールを組まれたの。」そう話すと驚かれ、その当時のことが蘇ってきました。まだ20代の頃、義兄の転勤で関東にいた姉が、上海旅行に誘ってくれて。私は羽田からそっちに向かうから、セントレア空港で待ち合わせねと。ハワイだタイだ、ベトナムだとあれこれ誘ってきたものの、祖父の状態も心配だったので断っていました。でも、上海は期間も短く何とかなるのではないかと思い、初めて誘いに乗ることに。空港で会い、あっという間にフライト時間は終わり、上海のホテルに到着。おしゃれなカフェに入り、異国に妹を連れ出せた安心感からか、ネネちゃんが本音を語ってくれました。「ねえSちん、もう十分過ぎるぐらいやってきたよ。お母さんのこともおじいちゃんのこともお父さんのことも。そろそろ自分のこと考えていいんじゃない?こんな風にさ、おしゃれなカフェに連れて行ってくれるような人と、のんびり何も考えないでそんなほんわかとした幸せをSには感じてほしいよ。」その言葉を聞き、この旅行の真意が伝わってきました。一番実家が大変な時に大阪で暮らしていてごめんね、引き受けなくてもいいものまでSが一人で背負い込んだ。異国に来て、とことん自分を俯瞰してみて、もう家族のことは知らないよってそう思ってもらいたかったんだ。Sちんには幸せになる権利がある、それは家族が妨害するようなことはあったらいけないんだよ。妹の辛さは日本にある、でも今は上海、重りを置いた自分をどうか忘れないでいて。不思議な姉妹だねっていろんな人に言われてきた。全然似ていない、真逆のようでもある、でも仲がいいと。どうしてだろう、お互いの痛みを知り、楽になってほしいと願う気持ちは同じだったからかもしれないね。
ひとつ深呼吸をして、自室の本棚の片隅にあった上海旅行のミニアルバムを開いてみました。色褪せ、台紙はセピア色。でも、写真はキラキラしていました。そしてネネちゃんのコメント付き。『南京西路で買った焼き小籠包4個で3元。屋台で筆談で買ったタピオカミルクティ3元。初めての上海旅行priceless. お支払いはマスターカードで。。。』なんやねんこれ!プライスレスちゃうねん!現金で払っていたわ!!とツッコミどころが満載。そして、一番最後のページには姉からの手紙が貼ってありました。『今度Sちんがおちこんだら又行こうね。おちこまなくても行こうね。とってもよい思い出となりました。秋になってちょびっとさみしくなってしまうかもしれないけど1人で頑張った自信は絶対的な強さになるよ!春になる頃答えがかってに歩いてくるから今は地道に頑張ってね。でも頑張りすぎずにごほうびもいっぱいあげてね。応援してます!』泣けるじゃないか。この季節だから、思い出したのか。20年近く経って、もう一度読んだ手紙に胸がいっぱいでした。その当時、遠恋をしていた横浜の彼と距離を取っていた時期で。私の中で沢山の迷いがあったことに気づいたネネちゃんは、彼女のやり方で外に連れ出してくれました。結果的に、勇気を出して実家を離れ横浜へ行った、でも彼の生きがいは仕事であり子供はいらないと言われ、別れが待っていて。名古屋に帰るという選択肢は私の中にありませんでした。あなたに出会えたことも、関東に来たことも何ひとつ後悔はしていない、だから後戻りをするのではなく前に進むよ、そんな私をまた彼も応援してくれました。今は、中学生の男の子のお母さん。1人で頑張った自信は絶対的な強さになるというネネちゃんの言葉に、涙が溢れました。まだ道の途中だけど、どこかのタワーにまた上れる日まで頑張ろうと。
今度姉に会う時は、このミニアルバムを持って行こうか。彼女も沢山の気持ちが溢れるに違いない。