父の手術の話を、後になって本音をポロっと漏らしてくれるので、両親宅で思わず笑ってしまったことを思い出しました。どうやら母の両膝の手術後、麻酔から覚め、嘔吐が酷かったことを父はずっと覚えていて、自分もそうなるのではないかと不安だったよう。「もうさ、手術の後にどれだけ気持ち悪くなるかって、嫌だなあって思っていたんだよ。」って、そっちかい!!それではまるで、注射に行く息子が、実際の針よりもアルコール消毒が嫌だと言っているようなことに近くないか?!と笑ってしまって。前夜にLINEのスタンプを送っても、返事がないはずだと妙に納得。「あのね、私の手術前日に、麻酔科の先生に聞いたことがあったの。そうしたら、その人の体質にもよるし、体調によっても違うし、みんながみんな麻酔明けに気持ち悪くなる訳ではないって。」「なんだ、そうか。意外と大丈夫だったんだよ。」と半笑いの父。もう少し手術前に会話をしておけば良かったかな、でもそっとしておきたかったんだ。この気持ち、届いているだろうか。
なんだか本当にいろんなことがあり、顎関節症がますます悪化をしていたので、もう一度歯医者さんで診てもらうことに。すると、先生が伝えてくれました。ずっと緊張状態の中にいるのだと。マウスピースは真面目に付けて寝ていても、日常の中でも無意識に力を入れているから、できるだけリラックスするように言われ、カフェに寄って一人反省会。父のがんの可能性が出て、母の精神状態も悪化した、顎関節症になったのはその辺りだよな。シングルママで、何かあっても両親に頼る気はない、絶対に崩れるものかとどこかでピーンと張っていたのだと自覚しました。もっと本気のメンテナンスが必要だと、顎関節症に強そうな接骨院を検索。すると、以前から少し気になっていた所が出てきました。予約を入れ、別の日に行ってみると、男性スタッフさんが多い中、30代の華奢な女性スタッフさんが担当になり、こちらの不調を説明させてもらうことに。すると、とても深く理解し伝えてくれて。「触ってみた感じ、昨日今日でなった懲りではなく、もう長い時間かけて固まってしまったのがよく分かります。極限まで頑張ってしまうタイプですよね、きっと。気づいた時には重症みたいな。」ははっ。痛い所を突かれたと思いながら、一緒に笑ってしまいました。そして、自分も顎関節症になったことがあるから、その辛さ分かりますよと。いつもは別の店舗にいて、今日はたまたまヘルプで来ていたと話してくれて、この巡り合わせに感謝だなと思いました。相性のいい彼女と話していると、不調の原因が頭の中で繋がっていき、ストンと何かが落ちる感覚があって。開腹手術をしたのが3年半程前、卵巣がんの可能性であることを前提で婦人科の執刀医は切ってくれたので、その傷口は大きく、退院前に看護士さんに言われていました。1ヶ月は重たいものを絶対に運ばないこと、スポーツもだめ、自転車にも乗らないで、とにかく気を付けてくださいねと。すぐにホルモン治療にも入り、気持の悪さが常にあり、体力も食欲もガタ落ち。息子とたまにやるキャッチボールも、できるだけ腹筋を使わないように腕だけ振っていたなと。自宅で時々行うヨガやピラティスも、お腹を守る習慣がついてしまっていた、いろんな不調でタンパク質も不足、インナーマッスルを鍛えているつもりで、手術前に比べたら全然だったと反省材料が沢山見つかって。そんな状態でずっとパソコンに向かっていたら、そりゃ筋力がないのだからあっさり姿勢が崩れるよね、利き手の左に傾き、左の顎関節症になるのも納得。大学図書館で勤務をしていた時、上司や先輩から言われた仕事の期限をまず先に聞いていました。そこから逆算して、少し余裕を持って動くようにしていて。基本的に一人仕事が多く、煮詰まってくると事務室から図書館のちょっと遠いトイレに行って、遠回りをして戻って来たり。またある時は、書庫でパツパツになっている書架を30分と決めて、黙々と整理していました。内線電話がかかってきた時にみんなが困らないように居場所を伝え、パソコンから離れて体を動かしたい時はできる状態にあったので、その当時はうまいことやっていたのだと今さら思い出して。そんな懐かしい本の匂いと共に、女性の先生が今の仕事と前職を聞いてくれたので答えると返事が。「ライター、いいですね!司書さんだったんですね!私、本が好きで一時期憧れたことがあったんです。」その資格取るの、紙一重でしたよ。何かひとつずれていたら取得することはできなかった。そして、その彼女がなぜ鍼灸師になったか理由を聞くと教えてくれました。「私のおじいちゃんが元々鍼灸師だったので、その影響からです。資格を取る為に3年学校に通ったんですけど、中には80代の方もいらっしゃいましたよ。」その話を聞き、司書講習でとてもご年配の男性がいたことを思い出しました。カード目録からオンライン目録に変わり始めていた頃、パソコンの実習も多く、その方も四苦八苦。そんな中、愛嬌のある男性の周りには自然と生徒が集まり、いつもみんなが教えパソコン教室のようになっていました。休み時間になっても、その方にもう一度教える仲間。テスト前になると、資料を持ちより、この辺りが出そうだとアドバイスを送り、どんな時もその男性の周りには人がいました。みんなで一緒に合格しよう、そんな仲間と共に学び、私自身とんでもなく助けられたこと、それは司書になる上で途轍もない財産であり、今も生き続けている大切な時間だったのだと改めて思いました。残りの生をどう生きるのか、一人の男性に沢山学ばせてもらったのだと。
さてさて、今回は施術と鍼をお願いして、首回りが少し軽くなり女性の先生にお礼を言ってお別れ。内側にある内臓も筋肉も、もちろん心も、一緒に元気になっていこうと目標を決めました。ということでまずは、1日1Lの水から。そして、軽めの筋力トレーニング。真ん中に一本のポールをイメージして、歪まないように。そんなことを思っていたら、手術後に静かになったロビーで看護士さんと二人で話した会話を思い出しました。沢山の後悔よりも、乗り切った患者さんの力を応援してくれた人、彼女の優しさも忘れることはないだろう。