土曜日、息子が部活から帰宅した午後、友達と夏祭りに行くと言って、すごい勢いで出かけてしまいました。思いがけず時間ができたので、ラグビー日本代表戦を応援し、テレビの前で熱狂することに。そして、7時頃に帰るというメッセージが入り、夕飯もそこで済ませてくることが分かったので、気分転換に近くのコンビニへ出向きました。目に留まったのは焼きおにぎり、息子の夜食にちょうどいいかなとかごに入れ、チョコの菓子パンも手に取りレジへ。すると、いつもの明るい女性店員さんが対応をしてくれました。セルフレジで、ポンコツ過ぎる私のスマホは毎回最初にエラーが出てしまい、そのことを謝ると笑って答えてくれて。「スマホがボロすぎて、いつもすみません。」「全然ですよ~。」「いつも待たせてしまい申し訳なくて。これって人による?」「いやいやそんなことないですよぉ。ほら、いきました!」と二人でわいわいやっているので、近くにいた他の女性店員さんも微笑んでくれていて。ここには大切なものがあるんだな、改めてそう思いました。少し前に行った時、ご年配の男性とヘルパーさんが買い物に来ていて、そのやりとりがあまりにもあたたかかったので、常連さんであることが分かりました。そしてまた別の日、隣のレジでご年配の女性のお客さんが、いつもの店員さんは?と聞いていて。「店長は今日お休みなんです。すみません。」と聞こえ、いつも会う明るい店員さんがやはり店長さんであることが分かりました。彼女と会話をしたくてここに来たんだなと。どれだけ時代が変わり、便利になっても忘れてはいけないことがある、人のぬくもりを求めて図書館に来てくださる方達がいる、その気持ちを持ち続けてほしい、上司の言葉が心の中をすり抜けていきました。近くのコンビニの店長さん、いつも人を大切にしている姿に、私も励まされた日。彼女は、これまでどんな人に出会ってきたのだろう。誰かの教えが信念となり、真ん中に置いている気がしてならない。いつか、そのストーリーを聞かせてもらいに行けたなら。
機械が人を選んでいる訳ではないのだけど、そういえば大学図書館にいた頃、興味深いことがあったなと懐かしくなって。貸出処理をした後、学生さんが出口を出ようとすると、ピーっと鳴ってしまったことが何度かありました。慌てて走り、こちらの不手際だったらすみませんと謝り、もう一度貸出処理をしても鳴ってしまったこともあり、何か電子機器などをお持ちか質問をすると、携帯電話を取り出してくれて。それを見た先輩が、差し支えなければどこの携帯を使っているか聞くと、答えて頂き、納得の様子。「なぜかその会社さんの携帯が出口で鳴ってしまうことがごくたまにあって、すみませんでした。」と伝えると、学生さんも笑って帰って行ってくれました。なるほどなるほど。全ての時間が学びだったなと改めて思いました。書庫で作業をしていると、本を探しに来た男子学生さんに声をかけられたことも。「あの・・・ここどこっすか?戻れなくなっちゃって。」その言葉を聞き、思わず吹き出しそうになって。「私も作業を終えて出る所なので、良かったら一緒にカウンターへ戻りましょう。」笑顔でそう伝えると、ほっとした様子でついてきてくれました。「本はもう探さなくていいんですか?」「もう見つかったんで。書庫って大変っすね。」そんな学生さんとの何気ないやりとりも好きでした。お互いを労っているような気もして。空間がね、ふんわりしたんだ。
父が実家を出て、若い女性と半同棲を始め、マンションの玄関まで会いに行くと、チェーンを付けたまま彼女が数センチだけ開けてくれたという話は、何度もさせてもらったこと。その時の景色は、まさに私の中で鎖に巻かれたような苦しいものでした。その後、かかってきた父からの留守電には、なんで帰ったんだというもの。彼女はチェーンを外さなかった、それは入ってくるなというサイン、私はそう受け取ったとはとても言えず、折り返しの電話もしませんでした。彼女は、娘が訪問したという事実は伝えたけど、自分が開けなかったという事実は父に伝えなかった、父が選んだ女性はそういう人なのかと。それから2年後、大学卒業前に最後になるだろうと佐賀の祖父母の所へ会いに行きました。そこで、祖母からは衝撃の言葉が。私が母の味方をしたからお父さんは孤独だった、女の子が大学に行きたいと言うからお父さんはプレッシャーだった、若い女性とあなたが別れさせなさいと。その彼女、家に入れてくれなかったんだよな、そもそもその時の彼女と今の彼女が同じ人かどうかも分からないし、一体私は何を言われているのだろうと。鈍化させることもスルーすることもできない、そんな術を持っていたらきっとここまで悩んでこなかった、おばあちゃんとおじいちゃんに最後に会いに来たんだよ。いろんな感情は大きな渦になり、それでも黙っていると祖父がその場を宥めてくれました。その毛布は、紙一重のところで傷んだところにそっとかけられて。その柔らかさを、絶対に忘れてはいけないのだと。
そんなことがあったのをよく知らない父は、病気になる度、能天気な電話が私のガラケーにかかってきて。いろんな気持ちがあったものの、弱っているのならしょうがねえなと思い、父宅へ訪問しました。その時は、絶不調でもなかったのか冷蔵庫にある材料で焼きそばを作ってくれないかと頼まれ、慌てて用意して食べてもらうことに。すると、「にんじんが固い。」と言われ、さすがにペキッと青筋が立ちました。はあ?急いで炒めたからそうなったんじゃ!同じセリフを彼女にも言ってみろ!!という顔をしたので、さすがにこれはまずいと思ったのかフォローをされて。鈍感なのだけど、父はこれ以上のことをするとSは怒ってくるというこちらのキャパをなんとなく知っていて、それがまた腹立たしいのだけど、いつか言われて一番痛いし届くタイミングで、ぶちまけようと毎日思っています。祖母の火葬場には行けなかった、それは時間的なことだけじゃない、悲しい記憶よりもおばあちゃんのぬくもりを大切に持っていたかったんだ。帰りの新幹線の中で、祖父母を感じた。ようやく、大学時代の自分と本気で向き合えた気がしたよ。絆創膏じゃだめだった、ごまかしがきかなかったなと。それでも、ここまで来られたのはなぜだろうね。答えではなく、父には質問を投げかけたいとも思っていて。その途中で、父なりの解を見つけるのかもしれない。心が大きく動いた時、何を、誰を想うのだろう。