弁護士の先生から、調書が届くという日、朝からなんとなく落ち着かず、先に買い物を済ませて自宅で待っていました。が、どんどん時は過ぎ、息子のお迎えの時間が迫ってきたタイミングでピンポン。慌てて受け取ると、そこにはクリアファイルに入った調書が入っていました。裁判所で離婚が成立した日、なんの書類もなかったので実感があるようでなかった気もしていて。それでも、書面で見ると、色々な気持ちがこみ上げてくるかと思いきや、意外とそうでもない自分に笑ってしまいました。ただ、親権が母である私にあることを裁判官の方が読み上げてくれた時に、ぐっときた時間を思い出して。この調書を手にするまで、長かったな。息子ともう一年も歩き始めていたので、それが正式な形になってくれてほっとしました。さあ、彼の元へお迎えに行こうか。
その後、公園で待っていると元気そうに帰ってきてくれたので伝えました。「今日ね、市役所に用事があるんだけど、少しお留守番できる?遅くても5時半には帰るから。」「うん、分かった。できるだけ早く帰ってきてね。」そう言って途中でバイバイ。これは時間との戦いだなと思いつつ、バタバタと市役所の中へ入り、戸籍課の前で待ちました。そして、呼ばれたので状況を説明し、調書を出して離婚届にサイン。その時、婚姻届を出しに来た時のことがうっすらと蘇ってきました。平日、慌ただしく一人で提出に来た32歳の私。役所の方に出した後、あっと思い戻って、婚姻届と一緒に写真を撮ってもらってもいいですか?と聞くと、女性職員の方に半笑いされながら、すでに渡ってしまった男性上司の方に何やら伝えてくれました。すると、その男性もふふっとこちらを見ながら笑ってくれて、これはもう開き直るしかないなと待ち構えることに。その後、また婚姻届を持ってきてくれた女性の方に、私と書類をガラケーで撮ってもらい、あの人カウンターの前で何やっているの状態。照れながら、お礼を言ってその場を後にし、夫になった彼にメールで証拠写真を添付しました。その日は、私の誕生日でした。明るい未来がきっと待っている、そう願った特別な日でした。それから、11年と4か月、濃い時間を過ごせた数々の出来事に感謝し、離婚届を書いている自分がいました。ようやく住民票を移すと、そこには私と息子の名前が入っていて、またここから頑張ろうと思いました。名字は、とことん気にする彼からもっと大きくなった後に変えたいと言われたので、そのまま名乗ることに。どこか自然の流れの中で、改姓のチャンスが来るだろう、その時をゆっくり待とう。そんなことを思っていると、確認作業などでどんどん時間は過ぎ、気が付くと5時半。しまった!と思っていたのも束の間、ようやく戸籍課は終わったものの、子育て支援課に回されてしまい、ざっくりと話を聞いた上で明日また来ますと慌てて帰宅。6時になり、外は真っ暗な中、リビングに入ると、何事もなくテレビを観ている息子がいてほっ。「すっかり遅くなっちゃってごめんね~。お母さんの読みが甘かった~。」「ボク、何度も玄関の外に見に行ったんだよ。」「それは悪かった!早くご飯にするね!」そう伝え、二人で盛り上がった夕飯。穏やかなこんなひとときに胸が詰まりました。区切りがついたよ、心の中で息子にそっと伝えた時間。以心伝心、なんとなく彼は気づいているだろう。
そして、安堵して眠った夜、息子が深夜に調子を崩し、起こしにきました。「正直に伝えてくれてありがとう。」と伝えるとほっとしていて。一番心が深く繋がる時。素直に話して受け止めてもらえるんだ、その安心感の積み重ねがきっと彼の心を強く大きくしてくれる。翌朝も、頭痛が酷いようだったのでお休みすることに。すると、昼前にはすっかり復活し、一緒にご飯を食べた後、また市役所に用事があるからとバタバタ出かけ、足りないものを取りに帰り、もう一度帰宅すると、ようやく安心してくれました。「ママと一緒におやつ食べて、マリオカートやりたかったんだよ~。」と言われ、一緒に遊ぶことに。すると、なかなかの快走を見せていたタヌキマリオを操作している時に、担任の先生から電話が。いったん中断させ、電話に出ると、いつもの明るい先生の声が聞こえてきました。「R君もお母さんも体調大丈夫ですか?」セットで聞いてくれるのね!と嬉しくなりながら元気であることを伝えると、安堵してくれました。そして、一連の話をして、当分改姓をしないことを伝えると、納得し、笑ってくれて。「今日ね、電話に出た時の第一声のお母さんの声がとっても明るかったんです。その声を聞いて、安心したし、長い戦いだったから決着が着いてほっとされたんでしょうね。本当にお疲れさまでした。」その言葉を聞いて、先生が越えてきたものを感じ、泣きそうになりました。子供の時に経験した両親の離婚、その大変さを知っている方だからこその深さに、ぐっときました。「R君の意思を大切に、今は改姓されないというお母さんの考え、いいと思います!その時を待ちましょうよ。」どんなことも肯定し、その選択をそっと後押ししてくれる先生。このタイミングで、担任になってくれてありがとう。心の底から一緒に笑ってくれたこと、忘れません。
それにしても、市役所の方達、手続きの度に“ご離婚”とご丁寧に“ご”を付けてくださるので、毎回吹き出しそうになりました。なんだかもう、離婚は悲しい出来事という認識は昔の時代で、今は新しい出発を意味してくれていたりもするのかなと、明るい解釈をしてしまって。今日という日に意味をつけよう。一年後に心がぎゅっとなるのではなく、一歩踏み出した自分に拍手を送る為に。自分の年表にはなんて記そうか。『笑顔を取り戻した日』うん、悪くない。