記憶がよみがえった夏まつり

この間、幼稚園で夏まつりがあり、朝からなんとなく親子でそわそわしていました。
夫は仕事だけど、息子にはカエルの甚平を着せて、私はワンピース何を着よう。

いつもは自転車、でもたまには気分を変えてゆっくり歩いて登園。
到着すると、先生達が法被を着ていて、トレードマークの元気さと可愛らしさとはまた一味違った、一生懸命さと綺麗さが入り混じった清々しい表情でした。
マニアには堪りません!最近、おばさん化してきたのではなくおじさん化してきたのかも。
色々な視点は大切だから許してもらおう。

太鼓の音を聞いていたら、子供の頃の記憶がよみがえってきました。
それは、私が幼稚園児だった頃、祖父と二人で行った地元の夏祭りでのこと。
手を繋いで向かう途中、何気なく私に呟きました。「日本も豊かになったな。」
あの時は、なんとなく聞いていただけだったのですが、時を経て大人になった今だからこそ、その言葉の重みを痛感します。
戦地に赴いた祖父は、敗戦後、極寒のシベリアで捕虜になりました。
必死に耐えて戻った日本は焼け野原、それでも家族が迎えに来てくれて、どれだけ嬉しかったか分からなかったと、何度も何度も私に話してくれました。

いつも本やビデオや、大学教授が開く無料の講演会に足を運び、戦争のことを忘れないようにしていた祖父。
どんな時も戦友のことを思っていたその背中をずっと見てきました。

私が妊娠した時はすでに80代後半、ひ孫の顔を見るまでは絶対に生きていると言い切り、息子を抱いて会いに行った時に、祖父の力強かった命があと少しで尽きるのを感じました。
私に最後に遺した言葉は、「世代交代だ。」
戦友の分まで生き続けた姿は、いつも心の中にしっかりと刻み込まれています。

沢山踊った息子との帰宅途中、「疲れた~。」と言って川沿いの道路に座り込んでしまうことに。
想定内です!!
いつものことだから、気長に待とうとたまにはお釈迦様の気持ちで構えていたら、近隣住民の方に話しかけられました。
「今日は、幼稚園のお祭りだったの?うちの子も通っていたのよ。懐かしいわ。」

昭和から平成になっても、そこに変わらないでいてくれる行事があるのは、どれだけ人の心を和ませてくれるのでしょうね。

おじいちゃん、一目だけ会えたひ孫が通っている幼稚園で、若い先生達が日本の伝統的なお祭りを大切に守り、未来の子供達に優しく伝えてくれているよ。だから、安心してね。
息子の手を握り、太鼓の音を聞きながらの帰り道、祖父が呟いた豊かさの意味をいつか話そうと誓った夏の夕暮れ。