内側から見えたもの

天気が良かった土曜日、息子と片道10km程のサイクリングを楽しみ、お気に入りの公園へ行ってきました。珍しく水たまりが二つ、そして、他にも2組のグループが遊んでいて、その中で本気のフリスビーが待っていて。すると、花粉症の酷い息子のコントロールがいつもより定まらず、こちらが猛ダッシュで取りに行こうとするとぬかるみにはまってしまい、ズルッと転んでしまいました。それでも、とっさの判断で泥を右肘でつき、お尻は回避。なんとか立ち上がったものの、右肘周辺は泥だらけで、困惑してしまいつつ二人で大笑い。「ママ、尻もち突かなくてすごいよ!」そこを褒めてくれるんかい!!と思いながらも、大盛り上がり。そして、手を洗いに行き再開すると、やはり変な所へ投げる息子にひと言。「反省!」そう伝えると、両手をピシッと気を付けの姿勢をしてくれるので笑ってしまって。そして、フリスビーを投げ返し「カッパ!」と言うと、頭の上に乗せ、カッパのお皿のようにするので二人で大爆笑。ノリが似ていていいねっ!体力は反比例、息子の体力がつけばつく程、私は下降線。でも、やれるだけ頑張ってみるよ。

その少し前、父の検査入院の日、母が寂しいからと言うので、一緒に外で夕飯を食べてきました。すると、あらゆることに批判的でやっぱり情けなくなってしまって。母は、ずっと不満を抱えて生きてきた人なのかなと。常に何かと何かを比較し、それではいつまで経っても幸せにはなれないよな、でもそれは母が選んでいることで私がどうこう言うことではないんだろうなと、冷静にぐるぐるしてしまいました。ひとつ何か指摘されると、わーっとなってしまう。自分は気が小さい、弱いからといつも言う。必死で自分を守ろうとするから、訳の分からない攻撃が始まってしまうのだけど、祖父母は何かもっと表面的なものを大切にしてしまい、母の奥深くに触れていたらまた少し違ったのではないか、自分が母親になったからこそ改めて感じるものがありました。現世で終わらせると決めた宿題、その答えは息子が持っているような気もしていて。愛ってなんだ?考え続けようと思います。
今日は3月11日。数日前から息子が伝えてきました。「もうすぐ、東日本大震災が起きた日だね。」と。その短い言葉の中に、彼の想いが伝わってきて。ママと行った仙台、今年はボクの中で色々な気持ちがあるよ。だから、忘れないでいようね。一緒に歩いた街、その風景を見ながら息子は何度も聞きました。「本当にここで震災があったの?津波が来たの?」と。あまりにも綺麗な街並みでピンとこなかったよう。復興を遂げたんだ、でも本当の復興は終わっていない、だから応援し続けよう。そう話すと頷いてくれました。目を瞑ると、松島の美しい景色が蘇ります。

大学図書館にいた頃、ずっと担当して頂いていたご年配の製本業者さんがいました。女性の上司と仲が良く、「お互い年を取りましたね~。」と笑い合っているそんな時間や空間が好きでした。何年もお世話になっている、だから他の会社さんにお願いする気はないのだと言う上司の情の深さを尊敬していました。電子ジャーナル化が進み、冊子は減り、そんな中で業者さんがいらしている時に上司に頼まれ、検索をかけた時のこと。調べたかったページがそのまま出てきた画面を業者さんも見て、「すごいな~。これでは製本業者もいらなくなる訳だ!」と笑ってくれました。せがれには跡は継ぐなと言ってあるのだと。それでも、腰のやや曲がった業者さんが毎月届けてくださる製本がとても好きで、そこに人の想いを感じ、上司の仕事であった製本雑誌の業務を教えてもらうことに。気が付くと一人で任せてもらい、雑誌コーナーの一角で届いた製本雑誌の裏表紙を並べながら置き、ナンバリングをしていきました。乾くまで待つ間に、Excelに情報を登録。その後も、すでに並んでいた製本雑誌に不備はないか見て回り、その度に目にする『supplement』という背表紙が好きでした。そう、付録、このサイトがみなさんにとっての付録になって頂けたならと願うのは、ここからきています。その後、図書館のちょっとした経理も担当していた私のことを配慮し、女性の上司が10日締めの仕事を前倒して有給を取ってくれていいよと伝えてくれたので、お言葉に甘え母とオーストラリアへ。その時、東日本大震災は起きました。現地で知り、言葉にならず、ようやく1日遅れで飛んでくれた飛行機で、関空を経由し、遠回りをしてようやく一人暮らしの自宅へ。まともに眠れず、辿り着いた大学図書館は、あらゆる本がなぎ倒されていました。みんなに謝ると、私が無事でいたことにほっとしてくれて。その後、倒れた本をみんなで戻そうとすると、学内の方達がその話を聞きつけ助けに来てくれました。他の部署の職員、学生さん、教員の方、本屋さん等々、中には白衣を着たままの学生さんもいて、その光景に泣きそうになりました。「いつも図書館にはお世話になっているから。」自分が司書として、利用者の方達にこの場面でそんな優しい言葉を言われるとは思わなくて、堪りませんでした。お礼を言い、ある程度片付いた後、一人製本雑誌のコーナーへ。午後2時46分、本当ならその時、製本雑誌の書架を確認しに行く時間でした。もしそこにいたら、重くて固い本が自分に降りかかっていたかもしれません。それをもし製本業者さんが知ったら、とても心を痛めてくれただろう、そうならないようにオーストラリアに向かわせてくれたのかもしれないなと。職人さんが一冊一冊心を込めて製本してくれた本を元の場所に戻すのは、自分の仕事なのだと思いました。何十年も続いている雑誌があるということは、それだけの年月を綴じ続けてくれていたということ、歴史を感じながら全部を戻すと、驚く程に全てが無傷でした。職人さんのプライド、本当の強さを感じました。人のぬくもり、私はきっと図書館でも沢山受け取ってきたのだと。

3月11日に鳴るサイレン。その音を聴く度、心がきゅっとなり、息子と手を合わせる時間。誰かの心がそっと包まれると今日も願い、復興の祈りを消さないでいようと思います。がんばろう東北、笑顔がひとつでも増えますように。