この間は、幼稚園の参観日でした。前回は夫にお願いしてしまったので、なんだか久しぶりでそわそわしてしまい、もしかしたら、担任の先生も同じような気持ちかなと、勝手に親近感。
仲のいい友達が何人いても、人数がどっと増えると落ち着かないのは私だけではないのかな。
そんな中で、Y先生の説明が始まり、やっぱり和ませてくれて。お迎えの時に毎日顔を合わせている安心感は、ものすごく大きなものだと感じました。
息子は、すでに体重が18キロあるのに、私の膝の上で製作を始めてしまい、全く空気が読めない5歳児に、こんな日だけはなぜか助けられていて。その後、母の日のプレゼントを渡してくれた時、他のお母さんがそっと泣いている姿を見て、皆それぞれ大変な思いの中で育児や人間関係に悩み、子供のプレゼントに大きな喜びを感じ、張り詰めていたものが溢れる想いにぐっときて。一緒に頑張りましょうね、とそのお母さんに心の中で呟く。
その後、懇談会があり、保護者の皆さんの前でひと言だけご挨拶。どうしても緊張してしまい、保護者の前より、生徒達の前での方がリラックスできていたなと、教育実習をふと思い出していて。
中学校の実習は、道徳の授業も必須で、社会科とは別にやらせて頂きました。一度だけ、道徳の教科書を開かずに、自分の話をした時のこと。
「私ね、ここまでくるのに、本当に色々なことがあり、大学中退がいつも目の前にあったの。それでも、沢山の人達に支えられて、今こうして教壇に立てている。あなた達に出会えて、今まで生きてきた中で一番幸せです。」
そう伝えると、何人もの生徒達が泣いてくれました。その授業が終わると、いつも厳しい指導教官が、聞いてきました。どうして自分の話をしたんだと、優しい口調で。
「自分の経験が、生徒達の心のほんの片隅に残ってくれたらいいと思いました。今すぐ理解できなくても、何年後かに、分かってくれる日がきたらと願いながら話しました。」そう伝えるとたったひと言。「何年後かじゃなくて、あの授業の中で伝わっているよ。」
社会科の授業では、散々ダメ出しをされていたのに、道徳の授業はそっと見守ってくれていました。それは多分、指導教官自身が、心を育てる授業の難しさを認識し、そこに答えがないことを知っていたから。あなたが正解だと思う授業なら、それでいい。
恩師が信頼してくれていたからこそ、任せてくれた何時間もの道徳の授業。4週間の実習の中で、一体どれだけのことを学ばせてもらったのだろうと改めて感じています。
以前、野球が大好きな元SMAPの中居正広さんが、巨人が原監督だった時、「いつ原監督に選手として呼ばれてもいいように、心の準備はできている。」とテレビで話しているのを聞いて、笑ってしまったのですが、私もどこかで同じ気持ちでした。
明日、どこかの学校で、1時間だけ道徳の授業をしてくださいと言われたら、心の準備だけはできている。ここで書かせてもらっているようなことを、徹夜して50分で組み立てたらいいのかな。
実際には教壇に立たなくても、その気持ちが自分をシャンとさせてくれるのなら。参観日の挨拶で、自分のフィールドがまた一つあることに思いを馳せた一日。
そして、Y先生を緊張させてしまった一人だったら、先生ゆっくり休んでね。