息子とたまにつなぐ手。その回数が前よりも増えた気がして、二人とも安心するんだなって思いました。沢山の言葉を交わすのだけど、心配かけるかもしれないという気持ちもこみ上げて、ぐっと堪える時もある。そんな時に感じる相手の体温は、じわっと心を温めてくれるんだ。
4社目の引っ越し業者さんが見積もりを取りに来てくれました。本当に明るい少し年上の男性が、こちらの状況をあっさり理解した上で、語られた彼の半生。「僕もね、実は離婚歴があるんです。もう本当にマンガのような話でね。引っ越し業者って休みも不定期だし、とにかく忙しいんですよ。そうしたらある日、疲れて仕事から帰ると子供達も妻も荷物も無くなっていて、テーブルの上に離婚届が置いてあったんです。」「え?そんなことがあるんですか?!」「あったんですよ。僕も呆然としました。前日まで賑やかで普通に生活していたので、信じられなくて。でも、もう5年経ってようやく笑って話せるようになりました。噂によると男ができて出て行ったらしいです。子供達も懐いているのなら、連絡はしない方がいいと思ってやめました。それっきりです。」「・・・大きな大きな心ですね。」色んな気持ちがこみ上げてうまく言葉にならないでいると、とっても優しい表情で微笑んでくれました。「あなたもまだまだこれからですよ。いい男、いっぱいいますから。人生長いんです、楽しまなきゃ。」そう言って思いっきり背中を叩かれたようでした。彼と、営業のMさんが友達になったのは必然のこと、お互いに離婚歴があり、家族の幸せを願い続けた。俺はなんとでもするから、そう言って二人で飲み合った姿が容易に想像できました。二人に共通しているのは、立場を越えて私の世話を焼いてくれているということ。やれることはプロに任せてしまえばいい、あなたは辛い気持ちの中で引っ越し準備が待っているけど、それもあと少しですよ。息子さんと新しい生活、とことん笑いましょうよ。そんな気持ちが痛い程伝わり、固まらないように必死だった心の一部が溶け出しました。優しさ、温もり、笑顔、未来への一歩。5年かけて笑ってくれた屈託のない表情は、刻まれた目尻の皺は、彼が歩いてきた道のりをそのまま表してくれているのだと思うと胸がいっぱいでした。廃棄物も一緒に処理をしてくれるということで、ここの業者さんに決まり。溢れる思い出も一緒に運んでください。
自分がこのような立場になり、自然と父が実家を出る時のことが蘇ってきました。とても話せる状態に無かった母、別居をする上での婚姻費用を父と私で決めることになった日。父の精神状態も決してよくはなく、できるだけ穏便に進めようとコピー用紙に手書きでお約束リストを作成し、父の前へ。内容は覚えていないのに、その時決めた金額だけは今でもはっきり思い出せて。母が望んでいた額に限りなく近い数字で納得してくれた父、それは私を安心させるためでもあったのだと思いました。なんにもしてやれない、酷い父親でごめんな、お母さんを支えてやってくれ、言葉はなかったけどそんな思いが盛り込まれていたのではないかと。金銭面で家族を支えてくれた父、ぶっきらぼうだし、本当に何を考えているのかよく分からないけど、夫として父親としてよくやってくれたなと今更ながら感じました。この間、母に会った時、「どうして沢山賃貸の不動産屋さんがあるのにそこを選んだの?」と聞かれて。「元々、あそこにはATMがあったんだよ。私もたまに利用していてね。お父さんが勤めていた銀行だったから、何かいいものを感じたの。本当に小さな繋がりなんだけど、世の中そんな風に流れているんじゃないかって思ってね。」そう話すと、何とも言えない顔で笑ってくれました。あなたってそういう子よね、そして本当に繋がってくるんだから。心配はしているのよ、でも助けてくれる人に出会うのよね、いつもそうだった。そんな気持ちを込めて、母らしい明るいスマイルを見せてくれました。あなたの子だからね。愛を知っている。
夫は、悲しみに暮れたまま。不機嫌でとげがあって、お金の話をしても難しいところ。今朝は「ずっと平行線のまま。」と言われてしまいました。離婚という結論が出ているし、物件も決まり前に進んでいる。それでも、夫の中で整理しきれないものがあって、それが苦しく私に当たっているのかなとも思いました。ただ、その問題は夫の中で解決することが一番いいと思っているので、見ているのが辛くてもそっとしておこうと思っています。引っ越し日は夫の有給。笑ってお別れするなんて、私の独り善がりなのかもしれない。それでも、夫がまた心から笑えるように、どんな言葉なら届いてくれるのか、残りの時間で考えようと思います。出会った人だから、沢山あった10年を一緒に歩いてくれた人だから、妻ではなくなるけど精一杯のありがとうを伝えたい。彼の心の一番奥に届いたら、またそこから歩き出してくれたらいいな。