本音の部分

両親の片付けに出向くと、空気を読んだ息子がテーブルで折り紙を作り出し、一人で遊んでくれました。退屈じゃないかなとちらっと見てみると、通販番組を食い入るように見ていた7歳児。「すごい!!」と感嘆符まで付けている感激ぶりに笑わせてもらったキッチンの中。本当にどこを目指しているの?

そして、何気なく目に留まった父のキーホルダー。「お父さん、このくまさん、年季入り過ぎでしょ。もう何の動物かよく分からないよ。」そう言うと、さりげなく伝えてくれました。「それ、Sが随分前にプレゼントしてくれたものなんだよ。」と。一瞬何を言われているのか分からなかったものの、ああっ!と思い出し、泣きそうになりました。それは、父が60歳で一度退職し、契約社員としてまた同じ場所で働き始めた時の記念に、5年前、私が父に渡してもらうよう母にお願いをしたものでした。まだ小さかった息子と、夫と、横浜動物園に行った時に購入しました。記念のものと言っても、あまり物に執着のない父に渡すものも思いつかず、それこそ半分笑いを取る為に、少しふざけたものでもいいのかなと、冗談半分でプレゼントしたもの。後日、父が照れ臭そうに「ありがとな。」と電話をかけてくれたものの、きっと部屋の片隅にでも埃をかぶって置かれるだろうなと思っていたのですが、そのボロボロ具合に、5年前のその時に付けてくれたものだということは容易に想像がついて、胸がいっぱいでした。5年間、一緒に歩んでくれたくまちゃん。だらしのない60歳過ぎのおっさんを、そっと見守ってくれていたのだと思います。多くを語らない父、それでも娘のなんでもない気持ちを受け止めてくれていたようです。この絆をね、母や姉に分かってもらうのは、なかなか難しいんだ。

そんなことを思っていると、寒暖差の影響で頭痛が発生し、少しだけ休ませてもらうと、横になった私に母が半分笑いながら言ってきました。「休んでももちろんいいけど、何か今話したかったら話しなさいねっ。」と。このバタバタの中で改まって話すこともなかったのですが、弱音を吐くなら今がチャンスよ!と言わんばかりに伝えてくれた母に、思わず笑ってしまいました。ありがとうね、心の中でそう思っているとその安心感からか短時間だけストンと落ち、夢の中を彷徨っていると、隣でガサゴソ。ん?なんだと思い見てみると、ちゃっかり添い寝に来た息子。寂しいんかい!と思いながらも知らん顔を決め込むと、リビングにいた母の所へ戻り、談笑を始めてくれました。夢なのか、現実なのか。母のことで眠れない日を過ごした夜が何日あったことか。そんなことをぼんやり思いながら起き、息子に「お母さんの隣にきたでしょ~。」と言うと、「ボク知らないよ~。」という返事。とぼけても無駄じゃ!!こんな穏やかな寝起き、やっぱりいいね。

大学在学中、教職課程のトップ、胃がんの体を押し、講義に出てくれていた尊敬に値する教授。個人的に、どうしても先生の意見を聞いてみたくて、講義が終わり、研究室までの道のりの中で相談をさせてもらったことがありました。「先生、私まだ大学4年間では学び足りなくて大学院を考えているんです。経済的なことも考えると無理なのは分かっているのですが、専門の日本史ではなく、心理学を学びたいとも思っていて。」あまりにも唐突かなと思ったのですが、とても丁寧にこちらの真意をくみ取り、穏やかな口調で伝えてくれました。「それなら、スクールカウンセラーの道もあるんじゃないか。中学高校の教員免許を取ったなら、小学校の道も拓けてくる。こうだからこうだと決めつけるのではなく、色々な可能性を模索すればいい。子供達の心のケア、とても大切になってくるよ。」それを言われて目から鱗でした。やはり私は小学校向きなのか?とも思ったし、スクールカウンセラーという選択肢は全く考えていませんでした。その教授は、心を育てるということをとても大事にしていて。教科そのものの内容は、後からでもついてくる。子供達の心を育成するってどういうことなのかと、沢山の議論を重ねてくれました。教壇から降り、講義室の一番後ろに座る。そして、学生さん達を教壇に立たせ、主体性を持たせる。あなたはどう思うのか。常に参加型の授業、その講義スタイルに学生一人一人の心が育っていったのだと思います。その恩師からのアドバイス、スクールカウンセラーへの道。私には、正直難しい。それでも、子供達が今どれだけのストレスを抱えているのかはなんとなく分かる。何気ないひと言で和んでくれることも。忘れてはいけないのは、大丈夫だと伝えること。大人が子供の繊細な心を守るということ。先生、そうよね?