ひねった言葉

私がまだ小学生の頃、姉と『笑っていいとも!』(フジテレビ系)を見ていた時、ことわざなどの言葉を変えて面白くしようというようなコーナーがありました。その中で出てきた“桃栗三年柿八年”(芽が出て実がなるまでに、桃と栗は三年、柿は八年かかるということ。また、何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だというたとえ)。それを“やりくり大変ガキ八人”と書いた視聴者の方がいて姉と大爆笑。ガキ八人もいたらそりゃ大変だと笑い合ったテレビ前。ちょっとしたことなのだけど、言葉に変化を持たせるだけで、ふふっと笑えるっていいなと思いました。落ち着かない家庭だからこそ、そういったことがより楽しめたような気がして。二人とも男の子の母親になり、さらにパワーアップした何かが思いつくかもしれない。

そんな姉が、まだお互いの子供が0歳の時に電話をかけてきたことがありました。「余裕がない時だから、なんだかSの子の武勇伝が聞きたくなってきた。何かない?」という無茶ぶり。と思いながらもあっさり出てきた最近の話。「うちの子さ~、片側だけ寝返りができるようになって、それが嬉しかったのか毎日やっているんだけど、何を思い立ったのか今度は逆側に挑戦していて、勝手に反対側を自主トレしているの。結果的にできていないんだけど。」ははっ。まだまだありそうだね、ちょっと次回までに溜めておいてねと笑いながら通話終了。大変な時ほど笑えるネタを探そう、そんな姉の発想が大好きでした。育児のことで姉が悩んでいることを母がこっそり教えてくれた時、連絡を取ろうか迷った日。でもやはり今じゃない、そう思い直して止めました。「Sはいつもどこかで優等生なんだよ。それはいいことでもあるんだけど、自分のことが置き去りにされてしまう。お父さんが浮気をした時さ、Sは沢山我慢したよね。普通だったら、怒りの感情を爆発させるのに、アンタはお父さんの気持ちも汲んでしまい、結局怒りの感情が中途半端に終わってしまうんだよ。それってね、とっても苦しいことだと思う。そんなことの連続だったじゃない。だから、お母さんのことも、Sが本当に会えると思ったタイミングで会いなさい。」誰かの為じゃなく、自分の為。それを姉は伝え続けてくれました。だから、姉に対してもそう。心が凪いでいき、今だとそう思えた時、わだかまりなく会えると思った時、自分に正直に行動を起こせたらと思っています。

血の繋がっていない、名古屋にいる親戚のおばさん。私に焼き菓子を贈ってくれました。お礼電話をかけると、とっても喜んでくれて。「私ね、よくSちゃんのことを思い出すの。元気にしているかなって。健康が一番よ。体に気を付けてね。」そう言われ、涙がポロリ。この器に助けられてきたんだね。まだ一人暮らしをしていた時、母に隠れてこっそり訪問をすると伝えてくれました。「あなた、内臓を悪くしているでしょ。お母さんの前で沢山我慢していたらそうなるのは自然なことよ。体が弱い人はね、体の弱い人の気持ちが分かるよ。私は風邪一つひかない強い体だけど、Sちゃんは堪えられないものが体に出てしまっている。でも、それは決して恥ずかしいことじゃないの。相手の気持ちを想うからこそなんだよ。だからたまにはこうして誰かに吐き出しなさい。あなたの話を聞きたいと思ってくれる人はきっと沢山いるよ。」関東に来た直後、胃炎を患い、戸惑ったことがありました。環境の変化ではなく、今までの我慢が一気に押し寄せたものだったのだろうと。それをおばさんは見逃しませんでした。きっとね、泣くことさえ許されない環境の中にいたのだと思う。だから、ここでは泣きなさい。そんなおばさんとのやりとりが、久しぶりの電話でこみ上げ、自分がありのままでいられているのは、そのことを忘れさせない人がいてくれるからだと改めて思いました。
「また会いたいです。」素直な気持ちに、ひねった言葉はいらない。