私のことをぼんやりと分かってくださっている方は、この質問の答えを聞いて「分かる~。」とうなずいてくれる予感がしています。
超が付くほど文系で、大学は文学部出身、日本古代史専攻。日本史も好きだったのですが、一番は古典が得意だったような気がします。
好きな教科と、得意な教科って、少しだけ違うとも思っていて、英語は好きだったけど得意ではなかったです。
英文法には自信があったけど、長文読解は苦手だったとか、その教科が丸ごと好きっていうものはなかなかない中で、古典はしっくりきました。
日本の歴史を、文字で感じられることが嬉しかったのかもしれませんね。
いつも大切にしていることは、そこだけを見ないということ。そこに辿り着くまでの歴史、ベースとなる部分を掘り下げて学ぶことがとても好きです。
現代の言葉に至るまでの日本の言語を知る中で、ことわざであったり、リズム感のある短歌や俳句は、勉強をしていて楽しくなりました。
言葉の中に抑揚がある、短い文章の中に、一番伝えたいことが山場となって人の心に残る。百人一首が好きだった小学生の頃は、ぼんやりとそんなことを思っていました。
『五七五七七』の中に、言葉と言葉の間に、日本古代の女性の奥ゆかしさが感じられるようで、そのことを記録物として残されていることに、感動を覚えます。
数学は、方程式等は得意だったのですが、証明や命題などは苦手。理科は、物理が本気で苦手で、中学校の理科の実験は、自分の班だけいつも失敗していました。
おとなしくしていればいいのに、なんだか楽しくなってしまい、手を出すと散々な結果が待っていて・・・。苦い経験は数知れず。“理系”というだけで、尊敬の眼差しです。
大学図書館の書庫のさらに奥に、貴重書を所蔵している部屋があり、ごくたまに鍵を持って、資料を探しに行くことがありました。
やや埃が被っているし、和紙のような紙で作られたものもあり、白い手袋をはめて取り扱うのですが、小さく手が震えました。
「ここにしかないものだからね。」と先輩に言われた後に触ると、それはもう緊張します。
くしゃみをしたら、永遠に私の唾液が本と共に残るのかななんて、くだらないことを考えてみたり。
USBメモリもCD-ROMも何もなく、データとして保存する時代ではなく、書物でしか記録を残せなかったものが現代に残り、それを一つの教科として学べるのは幸せなことですね。
欧米人の先生が、日本古代の文字の研究をされていて、閉館ぎりぎりに書庫に入り、陰に隠れていたので気づかず電気を消してしまいました。
「僕まだいるよ~。」と笑いながら上がってきて、ただただ平謝り。日本人の私が全く読めない日本語の資料を大量に持つ姿に、歴史の良さを再認識する。