さくらの季節がすぐそこに

去年の4月、深夜に怖いぐらいの電話が母から何度もかかり、父に電話を入れても出ず、状況をメールしました。翌朝、電話をしても不在、煩わしくなると音信不通になる父。またかと思い、途方に暮れていると、一通のメールが。『不安にさせてごめんね。今新幹線でそっちに向かっているから。』私のSOSが初めて届き、緊張状態が緩んで、夫の前で大泣きしました。

その後、関東にいた姉にも電話を入れ、父と三人で話したいからと、近くの公共施設で緊急家族会議を開くことに。母は調子が悪くなり、不安で堪らなくなり片っ端から電話をかけていたよう。
母子で情けない話ですが、私が離れようとすると、色々な手段で必死になるので、そのことに恐怖を覚えてしまっていました。

一旦自宅に来た父に謝られ、「Sには今まで本当に悪かったんだけど、お母さん、恋愛中から少しおかしかったんだよ。」・・・はあ?私の人生で一番ずっこけたくなる瞬間でした。怒りよりも悲しみよりも、ずっこけたかった。そんなに前からかい!!だったら、その時点で別れようよと思ってしまったのですが、それでは姉や私が生まれていないので、怒るに怒れず。

それから、父と姉と私の三人でこれからのことについて話し合うはずが、ヒートアップ。姉にとっていつも家族は私だけでした。だから、父の冷静な態度が気に入らなかったのか、その怒りを私にぶつけました。
「Sがお母さんを甘やかすからこうなったんでしょ!お母さんの自立をいつも邪魔して、お母さんをダメにしたんだよ。いつまでも家族にしがみつくのは止めて。私まで迷惑だから。」
一体何を言われてしまっているのだろうと、怒りよりも悲しみの方がはるかに強く、泣きながら思いました。どう頑張っても交われなかった理由が、そこにはあったのだと。
姉は、おそらく子供の頃から自由になりたかった。でも私は家族のことを守ろうと必死だった。姉は、そんな妹を見ているのが本当に辛かった。でも、もう自由になりたい、そんな気持ちが伝わり、悲しいけど答えが見つかったようでした。姉を解放したい。それは多分、別れを意味する。

その後、父が母に寄り添ってくれるようになり、母は落ち着いてくれました。
私の中でぽっかり穴が空いてしまったようで、家族会議の辛さが後を引き、数日後Kちゃんとの公園での待ち合わせも断ろうと思っていたのですが、逆に妹のような友達に会いたくて行きました。

元気の無かった私の異変に気付き、「姉にね、お母さんを放っておけなかった私が悪いって言われちゃってね。」と詳細を正直に話すと、優しい友達は伝えてくれました。
「私がSさんの立場なら、同じことをしていたよ。だって、家族だもん。」
たったこのひと言で、救われた。あの時の想いを忘れることはありません。
私のこれまでを完全否定した姉の言葉に、自信を無くした私に、心から寄り添ってくれました。
誰かに傷つけられても、誰かが救ってくれる。
姉の怒りの大きさは、姉自身の苦しみでした。それが分かるから、余計に辛かった。

そんな私にかけてくれた友達の言葉。『だって、家族だから』全てがここに詰まってる。
もうすぐ咲きそうな桜の木を眺めながら、友達の存在に助けられた一日。
さくらの季節はすぐそこに。