気負わないこと

息子と買い物をした日、スーパーでまぐろを購入した後、セルフレジにかごを置いてもらい、支払いに進みました。すると、小さなカメラを見つけた息子が変顔を始めるものだから、やめさせるのに一苦労。「ちょっと~!映っちゃうでしょ!!」「え~。面白いよ~。」とわちゃわちゃやっているものだから、支払いだけ済ませ、まぐろを置いていきそうになると、女性店員さんが半笑いで渡してくれました。一連のおバカな行動を見られていたとは!と思いながら、お礼を言って照れ笑い。こんな週末もいいね。

そんなお調子者の彼は、夜になり気圧の変動にやられ、珍しくぐったり。明日になったら良くなっているといいねと伝え、早めに寝かせました。そうっと様子を見に行くと、エアコンを消したら寝苦しそうだったので、風邪を引かせないか迷ったものの、そのまま点けて寝ることに。翌朝、いつものように慌ただしく学校へ行く準備を始めようとすると、息子の動作が止まっていて。「調子悪い?」「うん。頭と喉が痛い。」エアコンが裏目に出たか~と反省しつつ、熱はなかったので安心し、学校へ連絡してから伝えました。「きっとね、エアコンを消していたら、それはそれで暑くて睡眠不足になって頭痛も出ただろうし、今回はどっちに転んでもお休みだったと思うから、気にしないでゆっくり休んでね。修学旅行もさ、もしまた体調崩して行けなかったとしても、お母さんが連れて行くから大丈夫よ。」そう伝えると、どこかでほっとしてくれたのが分かりました。気負ってしまうと余計に調子が崩れることもある、気持ちをゆったり持ってもらうこと、それが私の役目でもあるのかなと。息子が小さい頃、まだ名古屋で働いていた父は、時々母の住むマンションへ遊びに来てくれたことがありました。そう、遠距離恋愛のような感じで。その度に、息子を連れて両親と三人で遊びに出かけてくれて。「今度、名古屋のおじいちゃんが来る時は、お台場に連れて行ってくれるんだって。」そう話すと、嬉しくて知恵熱が出てしまい、予め伝えるのも良くない時もあるなと反省。それでも、少し復活すると、名古屋に戻る前に自転車の後ろに乗せ、父に一目だけ会わせに行きました。時間にして3分もないぐらい、でもそんなひとときが父の活力になればいいなと。50歳で銀行から出向し、関連会社の会社員に。60歳で定年になった後も、1年契約で65歳まで働いてほしいと言われ、会社に残っていました。その間に、母の両膝の手術があり、複雑な気持ちを抱えながらも介護をした時間。名古屋にいる父と電話で話し、1年契約と言っても、最後まで職務を全うしたいという気持ちが伝わってきました。お父さん、そこまで私も頑張るから、後は頼んだよ。有終の美を飾ってね。行間にいろんな気持ちを込めました。その後、本当に全うした父は、コロナ禍の中、母のマンションへ引っ越してきました。すると、すっかり燃えつき症候群で、ソファに座りなんにもしないものだから、母の不満がこちらに飛んできて、結局同じことの繰り返しかい!!と冷静に父へ怒りのメッセージを送信。さすがにこれ以上Sを怒らせたらまずいと思ったのか、母に対し歩み寄ってくれました。そして、父の従弟が社長をしている会社で経理として働くことに。息子と両親宅へ遊びに行き、仕事から帰った父を見た時、綿シャツを着て背筋が伸びている姿にぐっときました。父は、仕事をしている方が似合うなと。学生の頃、両親の冷戦に巻き込まれ、祖父の入退院もあり、父のワイシャツのアイロンを私がかけていたこともありました。大学受験真っ只中の高校生、日本史の教科書をアイロン台の端に置き、時計を見ると深夜の1時。私、何やっているんだろうな、二つのことを同時にやろうとしても、頭に入る訳ないよなと思いながら、銀行員の父にしわくちゃのワイシャツを着せる訳にはいかないといろんな気持ちを抱え、アイロンをかけていました。日本史は、自分が進む道だとぼんやり思い始めていて、手を抜きたくはなくて。この気持ちを父に分かってもらおうなんて思わない、父には父しか分からない葛藤もあるだろう。だから、自分はその時やれることを、そして後悔のない選択を、そんなことを思っていたような気がしています。

時が随分流れ、父は69歳になり腎臓がんの手術を受けました。腹腔鏡手術で無事に終わり、退院祝いもした後、母から近況が。お父さん、会社のことが心配だから今日から出勤したよと。え?まだ退院から二週間ぐらいしか経っていないよね、早くないか?!と思ったものの、父らしいなとふっと笑ってしまって。何を取っても父親としてだめだめなのだけど、仕事に対するこの責任感はずっとそのままで、父とは親子ではなく、上司として出会いたかったなと思ってみたり。アイロンがけをしながら受験勉強をしていた自分も、少し報われたようでした。父の日、日頃の感謝と元気でいてねということ、そして今後の治療方針が決まったら教えてねとメッセージで伝えると、『ありがとう』とだけ返事があって。もう前立腺がんの治療方針は話が進んでいるはず、それを私に伝えないのはやっぱり父らしいなと。Sは二人の生活を守れ、それが最優先事項だ、この思いはきっと一貫しているんだろうな。だから、やっぱりありがとうなんだ。大学図書館時代、経理部長が元銀行員で、父と銀行は違ったものの、不思議な親近感を私に抱いてくれたのか、お父さんによろしくお伝えくださいと柔らかい笑顔で伝えてくれたことがありました。お互い大変でしたね、そんな近さと称え合う気持ちを感じて。越えたからこそ伝えられる想いがそこにある、沢山の人達からそのことを教わったのかもしれない。“ありがとう”って深いな。