春休みの桜

春休みを無事に終わらせることができて、一安心しています。とにかく息子は寂しがり屋なので、家事をこなす以外はほとんど一緒に遊んでいたような。
私が風邪を引いてしまい、唾を飲み込む時の激痛に耐えられず、耳鼻咽喉科の前まで自転車で行くと、明らかに混んでいるのが駐車場から分かり、あっさり諦めました。
自分の病院に一時間息子に付き合ってもらったら、途中でぐずりだすのは目に見えていたので、そのまま公園へ。

すると、すでに桜が満開に近く、喉の痛みも忘れて、少しだけ春の風を感じられる喜びを噛み締めていて。
去年の桜は、痛い程の家族会議の後だったので、切なさの方が強く、薄いピンクが少しだけいつもよりも白く感じられました。
今年の桜は、とても優しい、いつも目にする桜とはもっと違う柔らかさを味わえていて。

あの時から一年。本当に長かった。去年、桜を見ながら、どうやってここから自分を立て直そうと大変でした。誰かのせいにするのではなく、自分の足で立ち上がる。そこから見える景色は、今までにはない美しさだと思いたかった。

自分の心を伝えること。それは、時に痛みを伴い、そして、それ以上に胸が熱くなります。

2017年4月から構想を練り、7月にこのサイトをオープンさせ、少しずつ閲覧数が増えていく様子を目にすると、自分がこれまで歩いてきた道のりは間違っていなかったのかなと、読者の方達が沿道から旗を振ってくれているかのような、そんな気持ちで溢れそうになる時があります。
本当に苦しかったんだ。だから、トンネルを抜けた後の景色が、こんなにも綺麗に見える。

いつも、友達に言われていました。「Sは、結果論しか話してくれない。途中経過の悩んでいた時を一緒に共感したいと思っているよ。だからもっと話してほしい。」と。
私がここに書かせてもらっていることは、まさに“経過”だと思っています。
山があって谷があって、色々な人に出会い、色んな局面に遭遇し、これからどうなるのか、私自身がまだ分からないでいる。

終わりが見えてこないことでも、今を大切に生きている姿を届けられたらと、苦しいのは自分だけではないと知ってほしい、その先に見える景色はきっと前よりも違って見えるからと、私なりの言葉で伝えられたらといつもそんな想いでいます。

母や姉は、どこで、どんな気持ちで、桜を見ているのだろう。そんなことを思うとやっぱり少し切なくて。それでも、二人の生き方を応援しているし、私は大丈夫だと、沢山の感謝と共にいつの日か伝えられる時がきたらと、心のどこかで思っています。

今年の桜は、どんな風に映りましたか?さくらdeカフェは参加型。
沢山の想いを共有させてもらえたらといつも願って、春休み終了!!