自分を見つける

一日二回の治療薬を朝と夜に服用。朝飲み終わった後、ずーんと体が重くなり、それでも夕方4時半頃にすっと抜ける感覚があって、自分を取り戻したと思えるその時間帯が待ちきれなくて。そして、気分が上向きの間に、夕飯準備もこなし、息子の宿題も適当に見て、お風呂に入り、毎晩恒例の遊びタイムがやってきました。彼の誕生日プレゼントは、母からもらったドラえもんのすごろくと、夫と私からもらったスーパーマリオパーティのゲーム。昨晩は、ゲームの仕方を息子が一生懸命教えてくれたのですが、意外と機敏な動きを求められ、「お母さん、まだ腹筋が使えないんだよ~。」と説明すると、簡単なゲームを選んでくれました。マリオがテニスのラケットを持ち、敵を倒すというもの。意外とあっさりクリアすると、「ママすご~い!」と褒めてくれて、二人でわいわい。寝る前にこんなことをやっていていいのかと思いつつ、自分が元気でいられる時間帯に、一緒に笑いたくて大目に見ることにしました。そして、時計を見ると8時半。そろそろかとため息をつきながら、軽くお腹に食べ物を入れて、薬を服用。心も体も楽になる、息子との4時間が貴重なんだな。

そして、スマホを見ると姉からのメッセージが。てんこ盛りの焼き菓子のお礼にスイーツを送った件の内容でした。『先程ポストを覗いたらチョ、チョコ、チョコレートが入ってた~。お返しなんてよいのに、お気遣いありがとう。』なんだかどこまでも”らしさ”を出してくれる。わざとメール便にしたのは、家族に気づかれないようにこっそり食べてのサインだったのだけど、分かったかな。まだ実家にいた頃、バレンタイン用のブラウニーを大量生産している私の様子を見た姉が、彼にもあげたいから、少しもらってもいい?と聞いてきました。もちろん快諾すると、喜んで持っていった彼女。後日、渡せた?とさりげなく聞いてみると、「妹と一緒に作った!って言っておいた。」と言われ、大爆笑。「お姉ちゃん、キッチンを通過しただけだし。試食係はしてくれたけど。」「そうなんだけど、一緒に作ったことにしておいて~。」としっかり口止めをされ、そのことが面白くずっと頭に残っていたので、結婚をした時に一冊の料理本をプレゼントしました。

初心者でも作れる洋菓子の本を見た姉は、喧嘩売ってるの?と笑いながら受け取ってくれて。「なんかさ、お料理番組みたいに、小さな容器にもう計ってあるお砂糖とか準備してくれていたら、作る気にもなるんだけど。」と言われ、相変わらずのコメントにやっぱり笑ってしまいました。それでも、旦那さんの為に頑張って作った焼き菓子は、好評だったよう。遊びに行った時、冷蔵庫のホワイトボードに、『作ったチョコレートケーキがあるよ!』と書いてあり、幸せそうな彼女の姿に泣きそうになりました。あんなにも張り詰めていたのに、一人で生きていくなんて言っていたのに、ほんわかとした幸せに包まれている姿を見て、本来の自分を見つけてくれたのだと思いました。「結婚して、ガツガツ頑張っていたことが嘘みたいに、何でもないことが嬉しかったりするんだよ。」「だって、前のお姉ちゃんサボテンみたいにとげとげしていたもん。」「悪かったな。でもちょっと認めるよ。」「なんであんたは、Mちゃん(旦那さんの名前)なら大丈夫って思ってくれたの。」「お姉ちゃんが楽そうだったから。大阪にいた時にね、私は英語の宿題しかFAXしなくて、仕事で疲れているお姉ちゃんにやってもらっていたけど、Mちゃんは、ずっと手紙をFAXし続けていたよね。その頃はまだ友達だったかもしれないけど、そんなマメな男性に、疲れた心は解れていたと思うんだよ。毎日のように送ってくるんだよ~って話してくれたお姉ちゃんの声が嬉しそうだったから。」「そんな前から?」「そう。大阪の女子寮に遊びに行った時、私の宿題にまみれて本当に、お世辞にも綺麗とは言えない字のFAXを見つけて、なんだか嬉しくなったよ。知らない土地で、一人じゃなかったんだなって。」「あんたの直感、本気で大切にするわ。」「お姉ちゃん、もう武装しなくていいんじゃない?」そう伝えると、目に涙を溜め、微笑んでくれました。優しい笑顔を見つけた時。

私が20代の頃に、姉が誘ってくれた上海旅行。ホテルの朝食ブッフェで、カフェで、中華料理のお店で、沢山の話をしました。「私達、海外旅行まで出来るようになったんだね。子供の頃は辛かったよね。でも、苦労した分幸せの意味が分かった気がするよ。」どちらからともなく伝えた言葉でした。外国から、日本にいた自分達を思い、ここまで来たのだと褒め合ってみる。「うちの両親、どうしようもないけど、あんたのような妹を作ってくれたことだけは感謝してる。」なんて話してくれて、泣きたくなりました。「辛くなったらまた来よう。Sにどうしても両親は集中してしまう。だから、私はあんたの心がパンクしないように、たまに海外に連れ出すから、付き合いなさい!」「え?強制連行?」そんなことを言い合って、また笑い転げて。手術の朝、受け取った姉のメッセージを読んで、色んな思い出が駆け巡り、ずっと守ろうとしてくれていたのだと気づきました。

そして、母が改めて話してくれて。「お姉ちゃんから、聞いていたの。『4年前の家族会議でSに上から目線で色々言ってしまった。本当は、私が大阪やカナダに行っている時に家族を支えてくれてありがとうと言うべきだったのに。』心から反省していたよ。」と。入院中、アポなしで面会に来ようとしていた姉。会いたがってくれていることが、十分過ぎる程伝わってきました。「もう少し落ち着いたら、一対一で会おうとも思っているよ。」そう母に話すと、少しほっとしてくれて。
パスポートが切れているし、さすがに海外で現地集合なんてことはないだろうけど、いや、彼女ならやりかねないな、落ち着いた頃、韓国なら週末に行ける!とか言いそうだなと思っていると、笑えてきました。

上海から戻り、少し経ったある日、一人暮らしの私の所へ、旅行中の写真が一枚ずつコメント付きでミニアルバムに収められていました。『外灘(わいたん)で茶をしばく』なんやねん!
あまりにも彼女の個性が出ていたので、大学図書館の皆にランチの時に見てもらうと、一緒に笑ってくれて。「いい旅だったんだね。」そう言われ、姉の意図が分かりました。“辛くなったら、アルバムを見て自分を取り戻してね。それでも、挫けそうになったらまた行こう。”
さあ、どこで待ち合わせをしようか。横浜中華街なんてどう?