看護士さんから言われていたのは、退院から1か月ぐらいは安静にしていましょうという内容。ということは、1か月を待たなくても、元気になったら多少前倒ししても大丈夫だよね、“ぐらい”だしねという都合のいい解釈をして、若干フライングだとは分かっていても自転車に乗って、喜んでシェアオフィスに来てしまいました。悪い患者なのか?いやいや、最高のリハビリでしょ、心にも体にもね。
そして、わくわくしながらエレベーターに乗り、ドアが開いた瞬間、ラガーマンのTさんに会うことができ、なんだかそれだけで泣きそうでした。なんて絶妙なタイミング。「おはようございます。ずっと心配していたんですよ~。Hさん(不動産関係の彼)と、最近お見かけしないから、どうしたんだろうってずっと心配していて。それで、○○さんのサイトを二人で覗いてみたんです。そうしたら、大変なことになってるって気づいて、僕、何かできないかと思ってちょっとした物を送らせて頂いたんで、今日あたり届くかもしれないです。」なんだか、思いがけない話の内容に、嬉しいわ混乱するわで大変でした。どこまでも彼らしいなと、感極まりそうになって。Hさんにはサイトのことを言っていなかったのでバレたなとか、私の住所を会員になった時の審査書類から探してくれたんだなとか、いてもたってもいられなくて行動を起こしてくれた彼の気持ちに胸がいっぱいでした。そして、Hさんもまた同じ温度でいてくれたんだろうなと。「読んでくれていたんですね!私もこんなことになると思わなくて、でも戻ってこられて本当に良かったです。贈り物もありがとうございます!」「いえいえ、本当っすね。思っていたよりも早く戻ってきてくれて嬉しいですよ。今日はHさんもKさん(ミルキー大好きギターの彼)もいなくて静かです。」と言われ、一緒に大笑い。いつも仲良く話しているのを知ってくれているのか、みんな待っていましたよの気持ちが伝わり、ようやく帰ってこられたのだと実感しました。
「今年も、もう少し元気になったら、ラグビー観戦に行きたいです。再発を防ぐために飲んでいる薬の副作用がきついのですが、行けたらいいな。」「是非行ってください。お待ちしていますよ!」そんな話を、エレベーターホールで大盛り上がり。エンドレスになりそうだったので、途中で切り上げたのですが、誰にも会いたくないと思っていた入院中や退院直後の気持ちはどこへやら。Tさんがぐっと押し上げてくれたようで、彼に出会えたこともまた大きな巡り合わせだったような気がしています。さてさて、プレゼントは何かな。ラグビーボール1年分?そんな訳ないよね。ラグビー型のチョコ?京都出身だから八つ橋?もうね、届く前に十分気持ちはもらったよ。
その後、入院中からずっと行きたかったお気に入りのカフェへモーニング。手術の痛みが少し落ち着いた頃、ベッドの上で今自分は何がしたいのだろうと思った時、一番に頭に浮かんだのはそこのカフェでした。ようやく戻ってこられたという気持ちと共に、浮かんでくる病院での会話。私のベッドの前にいた脳梗塞で緊急入院となった74歳のおばあちゃんが、脳外科に移動になる時、隣のおばあちゃんと話している会話が聞こえてきました。「私、婦人科が居心地いいからここにいたいって言ったんだけど、リハビリの関係でやっぱり脳外科に行かないといけないみたい。いいわよね婦人科、カーテンもピンクだし。」という最後のセリフに私も笑ってしまい、誰かと話すだけで心の栄養になるのだと思いました。一人で立つだけで看護士さんに怒られると言っていたので、朝起きるとカーテンを開けに行きました。そんななんでもない行為に喜んでくれて。「この年になっても私、開腹手術をしたことがないの。あなた、辛かったし痛かったでしょ。本当によく頑張ったわね。」としみじみ言ってくれて、病院にいると、日常とは何か少し別の優しさをもらえるような気がして、心にすっと沁みました。そのおばあちゃん、今も理学療法士さん達と盛り上がりながら、左手のリハビリを頑張っているのだろうか。そう言えば、スマホでツムツムをやっていて、これもリハビリじゃないかしらと笑って話してくれたな。
今年も届いた大学図書館勤務時代にお世話になった教授からの年賀状。私が、漢方内科に通うきっかけを作ってくれた、大事な恩師です。頭痛で悩み、胃が弱いから沈痛剤がきつい時があると話すと、ご自身が研究をされている漢方を勧めてくれた、忘れてはならない方。大元を辿ると、その教授が図書館長を退任されても、図書館を想い、ご自身の雑誌を寄贈してくださらなかったら、私はその先生との接点もなかったかもしれない、そうしたら漢方と自分は結び付かず、漢方内科の主治医にも辿り着くことはできませんでした。杖を突き、いつも優しく雑誌を片手に図書館にやってきてくださる先生の醸し出す温かい雰囲気は、人を大切にしているお手本のようでした。配架しながら、パラパラと雑誌をめくった日々。そんな時間が、そんな出会いが繋がり、自分を助けてくれることになるとは。
そして、その先生が書いてくれた年賀状には、ついに寝たきりになり、自分の研究は教え子に譲ったというものでした。なんだか、胸が痛くなり、でもね先生、私はあなたの研究で救われたのだと、一司書の私に優しくしてくれた先生が導いてくれた漢方から、素晴らしい医師に出会い、助けられたのだと、その主治医は先生の講演会にも行っていたし、論文も読んでいたのだと、沢山の気持ちが渦巻き、人と人はこんな風に繋がり、助け合っているのだと身を持って知りました。もっと辿ると、司書の資格を取得したその時から、何かが動き出していたのかも。京都の恩師の所へも行けないだろうか。ひと言では全然足りそうにもなくて、それでもありがとうを伝えたいです。
シェアオフィスの三角の窓。病院は四角だった。本当に戻ってこられたのだと実感した日。でも、まだできていないことがあるよ。それは、オフィスの仲間と一緒に笑うこと。ただいまと笑顔で伝えること。