いくつもの記憶

まだ私の幼稚園時代、女の子二人と仲がよく、いつも三人で遊んでいました。そして、その二人が喧嘩することも多く、「Sちゃんはどっちが好きなの?」と何度も聞かれてしまい困惑。「どちらも好きだよ。」これは紛れもない本心で、いつもそう答えると二人ともなんとなく不服そうで、気を揉んでいた日々。社会生活を学び始める大切な場所なのだけど、いきなり難題をもらいすぎでしょうよと改めて思ったある日の午後でした。

何故そんなことを思い出したかというと、それは姉との会話がきっかけになりました。「うちの息子達が喧嘩をすると、R君はいつも中立でいたんだよ。どちらの味方になる訳でもなく、引いて見ているのでもなく、ただそっと見守り真ん中にいてくれるの。その立ち位置や視点までもが、Sにそっくりだと思ったよ。一人っ子だから、お母さんと過ごす時間も長いし、R君は感受性が強いから沢山のものをSから受け継いでいるのかなってそんな風にも思うよ。」なるほどなと、どこまでも姉らしい見解に嬉しさと温かさを感じました。いつも、色んな疑問や感想を聞いてくる息子。一緒に水泳のパラリンピックを見ていた時は、とても難しい質問を投げかけてきました。「体に障害のある選手は見た目で分かったりするの。でも、知的障害のある選手は分からないよ。」「そうだね。外からはなかなか見えない部分なの。なんて言うのかな、お母さんも伝えるのが難しいのだけど、心にちょっと障害がある方達という言い方をすればいいのかな。学校の中でもみんなに合わせていくのが大変な子達もいてね。そんな中で、社会生活を頑張っている人達が沢山いるの。なんとなく分かる?」「うん。学校の友達にもいるからちょっと分かった。」ふと頭を過ったたくさんの方達。障害をどう受け止めているのか、話してくれた数々の言葉にこちらの方が勇気をもらいました。息子が、色んな人と手を取り合い、優しさを持って生きていってくれたらとそう願ったパラリンピック。その時の感動が少しでも彼の心に残ってくれていたなら。

両親に、かめはめ波をぶつけに行きたい衝動に駆られる毎日。姉のこれまでの苦しみに気づいた今、自分がなんとかしたいと思ってしまう性分はそのままで、それでも私の為に余計なエネルギーは使わないでほしいと姉が思っているのも分かっているので、ぎりぎりのところで堪えています。母がひざの手術で入院中、またどっと乗っかってこられたらどうしようと不安を抱えながら介護をしていた時、案の定わがままも多く疲弊していました。そんな様子を息子は見逃さず、時間が経ってから言われた時の言葉が忘れられなくて。「おばあちゃんのことは好き、でも、ママを苦しめるおばあちゃんは嫌い。」あの時の息子の口調ははっきりしていたし、私の為に本気で怒ってくれているのが分かりました。その彼の心理状態と今の私が似ているのかもしれないなと思えてきて、複雑な気持ちにさせてしまっていたんだなと改めて反省しています。
週末、おもちゃコーナーを息子と本気のお片づけをしていたら、ぽつりと伝えてきました。「これ、ドラゴンボールのおもちゃだから役には立たないけど、本物のドラゴンボールってあるの?」と。「7つ、世界中のどこかにあるんだよ。みんな必死で探しているの。」私も大人げないなと思いつつ、半信半疑で8歳児が頷くものだから吹き出しそうになりました。1個だったら、本当に偶然見つかることもあるのかもしれない、7個集めることに大きな意味があることに気づく時はくるのだろうか。そうだ、元気玉を集めている最中なのに、かめはめ波を使っている場合ではなかった。ひとつひとつを整理して、後悔のない選択をしていく。

「ネネちゃん、これまでの道のりで、一番幸せだった時はいつだった?」とても苦しそうな姉を見て、再会した時にそんな質問を投げかけてみました。すると、間を挟むことなく答えてくれて。「きっと結婚1年目だったと思う。」自分の家庭を持ち、姉の何とも言えない安らぎを感じていました。そして、2年目から不妊治療が始まり、また辛い戦いが待っていた訳で。「私達、土壌が悪いんだよ。生まれ育った環境が。」そんなことを言っていた数週間後、LINEで伝えてくれました。『田んぼの土をちょっとでも耕したり、いいお日様の光や肥料をあげて自分でいいものにしていかなきゃだよね!』姉の心が澄み始めた瞬間でした。ここまでくるの、険しかったよね。人に幸せにしてもらおうなんて100年早いとか思っていたよね、私達。沢山考えた。自分はどうしたいのか、何がいけないのか、何に躓いているのか。その先に見えたもの、そこに向かって歩きたくて。大阪の女子寮からかけてきた姉からの電話を、ふと思い出しました。「Sは、普通そこで諦めるでしょってところで諦めない。なんで?」「自分の要領の悪さを人一倍知っているから、3倍努力しないと結果がついてこないの。諦める時は、自分で納得してからじゃないと後悔する気がするんだ。」今なら分かる。この山を越えたら、もしかしたら綺麗な景色が見えるかもしれない、そうじゃないかもしれないけど、なんであの時もっと頑張れなかったんだろうって思うぐらいなら、今頑張りたい。
姉が呼んでくれたカナダのカルガリー。そのタワーから見えた景色がどれだけ輝いていたことか。大学4年間のご褒美に、姉がプレゼントしてくれた場所だったから。また、次の景色をきれいだと感じられる所まで頑張ろう、そう誓った秋のカナダ。毎日お花畑を歩いていたら、感じることのできなかった宝箱のようなひととき、その時心の中に流れたものを忘れることはないだろう。