自分のもの

夏休みの終わり頃、息子と公文を続けるか、沢山話をしました。長期連休中であれば時間もあり、できていたことも、学校が始まれば学校の宿題に追われ、そちらだけで精一杯にもなると思ったから。予想通り、息子に言われてしまいました。「両方の宿題は大変だから、もうやめにする~。」と。そうか、と残念に思いながらも送り出した後、本人がいやいや行っていないことを発見。本当に行きたくないなら、泣き叫んで行かないのではないか、ただ面倒だと思っているだけで、先生も、その空間も好きな場所であるのだと気づくことができ、そのまま教室まで相談に行こうと慌てて準備をしていると、いつもより随分早く、涼しい顔で息子が帰宅。「どうしてこんなに早かったの?」と聞くと、「今日は他の子が少なくて、先生がそばにいてくれて一緒にやったの。」と嬉しそうに話してくれた時、心が決まったような気がして、「ねえ、もう少し頑張って続けてみない?ここでお別れなのも、なんだか寂しいよね。本当に無理だと感じたら、その時また考えよう。」そう伝えたら、いつものにっこり笑顔を見せてくれました。判断を間違えなくて良かった。

そして、改めてこちらから先生に電話をすると、喜んでくれました。「今日は、そばにいたらかなり早くやってくれて、すっきりした顔で帰っていったんですけど、その表情見られました?」子供のちょっとした変化に気づいてくださり、なんだか胸がいっぱいになりました。新しい世界で、守ってくれようとしている人がいる。頑張っている姿を応援しようとしてくれている人がいる。「息子は先生のことが大好きなんです。これからもよろしくお願いします。」と伝えると、笑いながら言ってくれました。「あら、そうだったのね!いつも照れてるから分からなかったわ~。これからゆっくり素の姿を見せてもらいますねっ。」あ~、そうか。飾らない先生だから、私も息子も楽だったのね。

その後の教室で、入会特典の公文バッグをもらえることを楽しみに出かけた息子。帰宅し、マンションのモニターに映った時、自分のトートバッグではなく公文バッグを嬉しそうに背負っている姿を見て、なんだか泣きそうになりました。お母さんは持っていなかったよという悔し泣きではもちろんなく、仲間になったのだという印だったから。それは、夏期講習を頑張った息子のご褒美のような気もして、私も頑張って良かったなと思いました。玄関のドアをガシャッと開けた途端、公文バッグの自慢を始めた6歳児。「これからこのバッグで行くんだよ。先生がくれたの!一緒に中身を入れ替えたんだよ。ほら、沢山入るよ!!」良かったね。一緒に盛り上がっていると、小さなチャックにハンカチとティッシュを丁寧に入れてくれていた先生の痕が。世話を焼いてくれるのは、私だけじゃない。こうやってまた助けられていくのだと感じた、夏の終わりでした。

私のkate spadeのパソコンバッグは既にボロボロ。色々な所に持ち歩いているので、古さは重ねた記事の分だと思うことにして。このブランドは、姉が、冬用のバッグに買ってくれたものを私が気に入り、それから好きになった思い入れのあるものです。シンプルなのに品がある。目指したいですね。そのバッグを持つ度に、ふと姉のことを思います。幸せでいてくれたらいいなと。そして、母が他界した後の、姉妹二人旅はやっぱりアジアかなと。姉の上の子はとても姉に似ていて、息子はなんとなく私に似ている。母宅で一緒に遊んだ時、下の子が、息子のおもちゃを取ってしまったらしく、息子は何も言わなかったらしいのですが、それを見た上の子が思いっきり下の子を叩いてしまったよう。「叩くのは本当に良くないけど、大好きな仲間を必死で守ろうとするところがあるよ。」そう母に言われた時、小さな姉と私が重なりました。我慢をすると、いつも姉が助けてくれた。こんな小さい子を放ったらかしてと親に怒っていた姉もまだまだ小さかった。そんな姉に、いつかどんなプレゼントをしよう。
「Sが幸せならそれでいい。」きっとそう言うに違いない。