息子のひらがなの書き方がまだまだ怪しいので、一緒にお風呂に入っている時、湯気の付いた鏡に『ぎょうざ』を書いてみてと伝えると、随分美味しそうなギョーザの絵を描いてくれました。私の言い方が悪かったのかもしれませんが、ひらがなの練習じゃ!それにしてもなかなかうまいじゃないか。焼き餃子よりも水餃子に見える、と感心している場合ではない。
人並みに勉強していたらなかなか追い付かず、人の三倍努力をしてようやく結果が付いてきていた学生時代。短期集中講義の司書講習が、今思えば一番きつかったかなと思っています。教職課程の方は、2年生から4年生の間に、自分で時間割を組み立て、決められた単位を取得すれば良かったので、ペース配分を決められて助かっていました。が、司書の集中講義は次から次へと試験があるので、そのスピードについて行けず、自分の頭の悪さを痛感。それでも何とかなったのは、純粋に図書館という仕組みに興味があったことと、友達に助けられたから。これがもし、科学の集中講義だったら散々な結果が待っていたであろうことは、容易に想像がつきます。
そんな私に明らかに似ている息子には、三倍の努力を重ねていくよと心の中で誓い、毎日奮闘中。母親の私に甘えながらも、ぐずぐずしながらも投げ出さない姿勢を褒めてあげたい。本気でバトルしながら、宿題で何時間かかっても止めようとしないところは、やっぱりよく頑張ったという言葉で締めくくろう。のほほんとしながらも、ガッツだけはあるようです。毎日勉強を教えるのが大変だと思いながら、その時間をどこかで楽しみにしているのは、本人もまたその時間を苦痛だと感じていないからなんだろうな。気持ちって、見事に伝播しますね。
私から『努力』という二文字を取ったら、何も残りません。謙遜して言っている訳ではなく、本気でそう思っています。実力がないということを早い段階で気づいた、これが頑張るきっかけになったのなら、それはそれで良かったのかなと。K君は、高校1年の最初の中間テストで全く勉強していなかったのに、320人中222位。「S、俺の順位、フィーバーしているぞ!」と笑いながら見せてくれました。何も勉強していなくてその成績なら、後ろの100人位の人達は立場がないよ~と感心してしまって。実力がある彼が羨ましくもあり、彼もまた、勉強する時間を惜しまない私をすごいと言ってくれました。違うものを持っていたから尊重し合えた、そんな気もしています。
大学時代、父の彼女に遭遇してしまった後、K君が入れてくれた留守番電話。その言葉に助けられ、もう一件入っていた父からの留守電を聞いて、ぐっと耐えました。「なんで帰ったんだ。」低いトーンで、この人は何を言っているのだろうと本気で情けなくなったことを覚えています。後日、K君に会い、事の詳細を話すと、「お前のお父さん、最低だな。」と私の代わりに怒ってくれました。「彼女と遭遇してしまったことに対して、まずは傷つけた娘に対して、ごめんなさいだろう。お前の気持ちを思ったら、その言葉が出てこなければおかしいぞ。でも、誰も助けてくれない状況の中に、お前がいることも本当によく分かった。なんでSが横道逸れないのか、そっちの方が不思議だよ。でも、一歩外に出たら、皆が助けてくれるような気もするな。お前、家庭内では辛い思いにさせられるけど、外では守られるよ。だから、プラスの方が勝っているかも。俺がかなりプラスに押し上げているけどな。」それ、自分で言う?と笑いながら語り合った沢山の時間。深く負った傷の傷みを、笑いに変えてくれた彼は、私以上に傷みを感じてくれていました。
最初から持っている人といない人。その差は、本当はそこまでないのかも。大切なのは心だけ。