年明けの嬉しい誤算

夫と結婚し、名古屋に帰省した1年目。父は、社会的なこともあったのか籍を入れたまま別居をしていて、年月と共に母と友達のようになり、祖父も、「お正月にお父さんを呼んでやって。」なんて私に言って、嬉しいお正月を過ごした時もありました。

でも、空気を読んでしまう私は母の異変に気付いていて。明らかに悲壮感が漂っていた。
だから、そっと近況を聞いてみました。そうしたら、寂しさのあまりおかしな人達と連絡を取り合っていることが発覚。

情けなさでいっぱいの気持ちをぐっと抑え、離れていてもちゃんと心は近くにいると精一杯伝えると少しだけほっとしてくれて。
祖父の介護で疲れていたのと、面倒になると離れていく父と、相談できない姉と、唯一の拠り所だった私が結婚したことで、母は底知れぬ孤独と戦っていました。だから、優しい言葉をかけてくれる人がみんな友達に見えてしまったのだろうと。
夫と相談し、祖父が他界したら、関東で、うちの近くで住まないかと伝えたら、ようやく小さな光が見えたのか、安心してくれました。

私の家族のことで、夫には本当に申し訳なかった。持たなくてもいいものを持たせてしまうことになるのかもしれない、私と結婚していなかったら、もっと身軽に生きられたのかもしれない、沢山悩み、そして今も考えることです。

その後、祖父は他界し、約束通り、母はうちから徒歩10分程のマンションに一人で住むことに。心の距離感がよく分からない母は、思っていた以上に大変で、とうとう私が参ってしまい、初めて父に怒りや悲しみをぶつけ、私の代わりに父が母を支えてくれて、今に至っています。

父は、まだ現役で働いているので、名古屋で一人暮らし。別居婚がいい感じで落ち着いてくれて、私がいなくても何とかなるんかい!!と呆れた2017年。もっと早く父に泣きつくべきでした。

そういった理由で、今年のお正月は、とてもまだ母に会える状況では無かったので、父が母宅に来て、夫と息子にお供え物と母へのプレゼントを持参してもらうことに。
昼ぐらいになって、夫からメールが。おせちをごちそうになって、なんだか楽しそうな様子。『都合の良いタイミングでゆっくり帰ってきてね』と返信すると、ようやく夕方返事がありました。

『お酒を飲みすぎて、寝てしまった!○○も楽しそうにしているよ!』

たったこれだけの文面から、今までのわだかまりが少しずつ解けていくようでした。
やや天然のほんわか夫と、わんぱく息子が出向いてくれたことで、両親は私が不在でも和んでくれたという事実。代打が、ホームランを打ってくれて、レギュラーがちょっと苦笑状態。

夫婦って、家族ってこうやって助け合うんだよ。夫が両親に届けてくれた大切なメッセージ。
本人は自然にやってくれたことだけど、伝わっていたらいいな。
一緒に飲んだから分かるよね。