これは、ポジティブなタイトルなのか?!超前向き。限られた時間の中で、ベストであろうと思う気持ちはどんな場面でも変わらない。
始業式から帰宅した息子は、クラス替えや担任の先生が変わった雰囲気でやや疲れてしまったらしく、変なテンションで帰ってきました。仲良しのKちゃんの娘ちゃんとも、返しが絶妙な微笑ましいD君とも離れ、先生が男性だったという落ち込み具合。さあ、どう慰めるかな。「今年離れたということは3年生でまた一緒かもしれないよ。先生も、男の先生ならではの面白さってあると思うし、皆で鬼ごっこをやったらあっさり全員で笑い合えるよ。」うんうん、我ながらいい感じと思っていると、「もう一つのクラスも男の先生だったんだよ。その先生の方が、笑顔が優しそうだった。」コイツ、何気に鋭いし、面倒くさいな。「あのね、最初の印象で決めたらいけないんだよ。話したらいい先生だって。お母さんは、会えるの楽しみだな~。」参観日も家庭訪問もなくなって、いつ会えるか分からないドキドキ感もいいじゃない。ホットケーキを焼きながら慰めたランチタイム。落ち込み具合が子供らしくて笑える。イチゴのサービスしておくから。
そして翌朝、半日だけの登校日を学校側が用意してくれた日、緊急事態宣言が出されることも分かっていたので、今日もパソコンを持ち、途中までお見送りへ。「またね、当分学校へ行けないから、お友達と話しておいで。」「何を?」「なんでもいいんだよ。元気でいようねとか。」何でもない日常が、こんなにも優しかったなんてね。誰かと話せることが、顔と顔を突き合わせて伝えられることが、幸せ。約束の交差点でお別れをすると、またKちゃんの娘ちゃんと笑顔で合流。クラス替えなんて関係ないよ。もう、二人にしか分からない絆が出来上がっている。
さあ、今日も貴重な半日。コメダでお腹を満たし、9時オープンのシェアオフィスへ。ホームグラウンドがあることにほっとした時間。パソコン画面の右下の時計を確認しながら今日は何を書こう。
子供時代、岐阜の小学校に通うことが分かった時、そこの学校の名前が入った素材の違うランドセルを使うことが分かりました。同じ社宅で一緒の学校に通うお母さんに聞いてもらうと、愛知県で使っていた通常のランドセルでもいいとのこと。ただ、それを使うと明らかに転校生だということが分かるので、子供には指定のものを買ったけど、他県から来て継続して使っている子もいると教えてくれました。「S、どうする?お母さんとしては、新しい環境になるし、皆に合わせた方がいいと思うんだけど。」「お金がもったいないからいいよ。皆に挨拶したら転校生なのは普通に気づかれるし。あのランドセルを6年間使うよ。」そう話すと、やや驚きながらも納得してくれました。時が流れ、愛知に戻り、ふとした時に伝えてくれて。「あなたが岐阜の小学校でランドセルをそのまま使うと言った時、この子は意志の強い子だなと思った。お金の大切さも分かっているし、親に遠慮してくれている部分もあるのは感じたけど、それ以上に自分をしっかり持っているんだろうなって。あなた、どんな状況でも周りに流されないんじゃない?」私が母の芯の部分を見ようと努めたように、母もまた私の根っこの部分を見てくれていたような気がして、たまにぽんと言われるそんな言葉に、何気ない信頼関係が芽生えていたのかもしれないと思いました。
姉が大阪で女子寮生活をして頑張って働いて買ったルイヴィトンのお財布。関東で一人暮らしをしている私のお財布を見て、「私のもので良ければあげる、アンタにあげると新しいのを買えるから。」と言い、さりげなく渡されました。それは、女子寮で、親には頼れない姉が、精いっぱいの虚勢を張り、これぐらいは買えるのだと、自分を高める為に買ったことを知っていました。そのボロボロのお財布の傷みは、姉の痛みのようにも感じられて。「ありがとう、大切に使わせてもらうね。」そう言いながら受け取った小さなバトン。人の価値は表面では決まらない。高価なお財布を持つことそのものよりも、その物を手に入れるまでにどれだけ努力を重ねたのか。いつか姉に会ったら、「まだ使っていたの?!」と笑われるかも。離れていても大切に思っていたよ、一つのお財布がきっと伝えてくれるはず。
時間、間に合った!心の旅を今日はこのあたりで終わらせ、また戻る慌ただしい午後。息子との昼ご飯は何にしようか。泣くのは、もう少し後にしよう。