息子がお世話になっているボランティア学習。スポーツマンの大学生の先生に教わり、相性も良さそうなので嬉しく思っていると、どうやら4年生であることが分かりました。大学院に進学してくれないかなと密かに願っていて。でも、先生ご自身の将来があるので、どの道に進んでもそっと応援しようと思います。そんな中、雨予報が出ていたのでウィンドブレーカーを息子に渡し、玄関で見送りました。「夜だし、帰りは雨だから気を付けてね!いってらっしゃい。」そう伝えバイバイした時間。その後、予定よりも若干遅くピンポンが鳴りました。それでも、帰ってきたことに安堵し、水滴のついた頭で伝えてきて。「すぐにお風呂に入りたい。」なんだかお疲れの様子だったので、そのまま洗面所へ促しました。それから夜食を用意し待っていても、なかなか出てこず。さすがに心配になり、ドアの外から声をかけてみると、不安そうな声で伝えてきました。「帰りにね、自転車で転んじゃったの。」「え~!大丈夫?ちょっと開けていい?」と本人の許可を取ると、とりあえずお風呂に入り部屋着姿であることが分かったので、けがの箇所を見ることに。すると、左腕と左手に大きな擦り傷があり、これは痛かったでしょうと驚きながら労いました。「お風呂でしみた・・・。」「そうだよね。帰ってすぐに伝えてくれたら良かったのに・・・。言いづらかったのもまあ分かる。」そう話すと、どこかほっとされました。あなたの性格を誰よりも知っているのは私だと思い、心身共にケアをすることに。1年前にやけどをした時、自分で貼った大きなバンドエイドを思い出し、息子の腕に付けると、若干痛みが和らいだよう。他の箇所にも付け、ようやく落ち着いてくれたので内容を聞きました。「自転車を走らせていたら、雨で滑って左側に転んじゃったの。咄嗟に左腕で体を守ろうとしたら、左側を沢山擦っちゃった。」「そうか。まず頭を守ってくれたことは本当に良かった。でもね、雨が降ったらウィンドブレーカーを着てねと言っても着ていなかったから、もし着ていたらここまでの傷にはならなかったよ。それでも、何があっても頭は絶対に守れというお母さんの話は覚えてくれていて良かった。あとね、Rはちょっと両利きの所があるの。今回、左側に倒れてもなんとか受け身が取れたのは、不幸中の幸いだったかもしれないね。自分で自分のことを守ったんだよ。」そう伝えると、色々と納得してくれました。男の子ママになり、心臓がいくつあっても足りないなと思うことが何度もあったのだけど、やっぱり不思議な力に守られているのかなと思った夜。息子もまた何かに気づいているのだろうか。
お盆に気合いを入れて両親宅へ行き、一仕事を終えて帰った翌朝、予告通りに父がやってきました。用事はポケモンGOだということが分かっていたので、息子に出てもらうと何やら玄関先で声がして。「これ使え。」とかすかに聞こえ、その後孫のスマホを借りて、散歩に行ってしまいました。そして、リビングに戻った息子がひと言。「おじいちゃんが2千円をくれたよ。」その言葉を聞き、なんだかいろんな気持ちが駆け巡って。父の目的はこちらの方が強く、ポケモンGOはきっかけにしたかっただけで、母や私の前ではなく二人きりの時に渡したかったのではないかと。腹が立つことは相変わらずてんこ盛りなのだけど、その行為はいかにも父らしいなと嬉しくなりました。何もしてやれない、でもやれることをちょっとだけな。そんなメッセージを感じて。お父さん、やっぱりどこかで男の子を望んでいたのかな。そんなことを思っていたら、息子を出産してから交わした佐賀の祖母との会話を思い出しました。「Sちゃん、男の子で良かったばい。大きくなったら頼りになるけん。」そう言って笑ってくれた祖母からは、3人の息子を育てた愛といくつもの思い出が感じられ、逞しい母親像がそこにはありました。頼りにはしていないけど、おばあちゃん、試行錯誤しながら頑張っているよ。心の中で伝えると、もっと肩の力を抜きんしゃいと微笑みながら言ってくれたような気がして、泣けてきました。会う回数は少なかったけど、こう言ったらきっとこう返してくれるのはもう分かっていて、それだけ密の濃い会話をしてきたんだね。歳を重ね、また少し氷が溶けていく。幼い姉と私と祖母を車に乗せ、3人がお店で食べていた時、佐賀の祖父はいつも車の中で待っていて、家に帰るとあるものでご飯を食べる倹約家だったこと。そんなおじいちゃんが、大学卒業前に最後になるだろうと会いに行った佐賀でおばあちゃんと喧嘩し、それでも強行突破で万札を握りしめ、一緒に新幹線に乗ってくれたこと。Sちゃん、お金はこういう時の為に使うんだよ、何も心配せんでいい。おじいちゃんがお父さんのことを説得に行くけん。新幹線の隣の席に座ると、おじいちゃんのいろんな気持ちが流れ込み、涙を堪えるのが大変でした。私が砕いた心の破片をそっと拾い、祖父は元に戻してくれているような気もして。その気持ちにどれだけ救われたことか。18歳で故郷を出た父が知らない祖父母の姿を、自分が親になったから気づけた想いも含めて、いつか父に伝えられたらと思っています。そうしたら、父の中にある故郷のキャンバスも、もっといろんな色を持つはず。私が祖母の葬儀の日に見た、透き通るような水色の空を、感じてくれる日が来るのかもしれない。
息子の高校について考えていたある日、自分の受験のことも思い出しました。愛知県の複合選抜で公立高校は2校受けられるのに、陸上部の大会前にけがをしたことを引きずり、成績は落ち、本命の高校をやめて1校受験をすることに。心配をしたベテランの女の先生が、滑り止めの私立を2校受けるように勧めてくれました。1校は学力に見合った高校を選び、1校は意外な女子高を選んだので先生に驚かれて。「実は母の母校なんです。姉も滑り止めで受けていて、私もせっかくだから受けてみようと思って。」そう伝えると納得してくれたのだけど、本当はもう少し理由がありました。あくまでも記念受験なのだという反発心、あとは純粋に母が通っていた高校を知りたくて。そして試験当日、校舎内に入ると、お嬢様の高校だと改めて分かったのと、母は両親に愛されていたのだと。母は祖父からの過度なプレッシャーを感じていた、でもそれだけじゃないものを行ってみて気づけたような気がしました。一人っ子で何かと苦労をかけたし、きっとこれからもかける、だからせめて子供に合ったいい教育をと祖父母は思い、高い学費を用意したのではないかと。お母さん、まっすぐに注がれていたものがあったよ、そんなことを感じながら帰った日。後日、担任の先生が手応えはどうだったか聞いてくれました。「それなりにありました。母の出身校に行けて良かったです。」そう伝えると、同じ温度で微笑んでくれました。後者の方が大きかったこと、国語の先生は分かったよう。陸上部でのこと、気持ちは少し晴れた?そんな気持ちも伝わってきました。余計なことを聞くのはやめておくね、でもね、一つだけ言わせてもらえるならあなたの経験は失敗じゃないよ。その答えは、大人になったら分かるから。表情から伝わってきた先生の優しさが、年輪に深く染み入っていく。失敗じゃなくて、経験が自分をまた一つ強くしてくれるのかも。息子の擦り傷も勲章だと笑うことにしようか。