誰かの生き方

全然今日はエンジンがかからないと困惑しながらランチから戻ると、シェアオフィスの受付にいたのは、ラガーマンTさん。いつも話しかけたらいけないと思い、スルーしてドアを開けようとすると、最近はよく彼の方から声をかけてくれて。そう、副作用と戦っていると気づいてくれている一人。そんなさりげない配慮ができる人なのだと知っているからこそ、気持ちの悪い日に助けられたようでした。「Tさん、もうすぐお昼ですよね。現役の頃に比べたら食べる量減ったんですか?」「いやあ、それがほとんど変わらないんですよ~。昼ご飯とか1000キロカロリー普通に超えちゃってます。」「ええ!炭水化物とかすごそう。」「そうっすね。今は中にお肉が付いちゃって。」なんて笑ってくれるものだから、一緒に笑ってしまいました。ガッチリした体型も、ハートも現役の頃のまま。誰かが挫けそうになると、そっと気づき励ます彼の優しさがじんわり伝わってきました。私も、経験を生かしていくよ。近くで応援してくれるって、なんてハッピーなことなのだろう。

会いたい人は沢山いるのに、できるだけ一人になりたいと思うのは、薬に引きずられているのかなと自分に情けなくなる時があって。夜になったら自然と眠れて、ご飯を美味しいと感じられることって喜ばしいことなのだと、ホルモン治療が終わったら、背中に羽でも生えるのではないかと、そんな弾けた時を楽しみに待とうと思います。そうそう、ノートパソコンを手に入れた時、年中のH先生が伝えてくれたことを思い出しました。「色々な所に飛び回るんですね!」そうです、それそれ。感性の似ているH先生にも随分弱音を吐き、助けられたなと、押し寄せる感謝に胸がいっぱいです。

まだ、小学生の頃、祖母の弟(6人姉妹だと勘違いしていた唯一の弟)が、スポーツ用品店をやっていたので、買いたい物があるからと、母にお小遣いをもらい、徒歩でお店に遊びに行ったことがありました。すると、とっても陽気なおじさんが私に気づき、喜んでトレーナーを選んで持ってきてくれて。「S、このサイズはどうだ?赤も似合うじゃないか。それ、持っていけ。」とまくしたてられ、「いいよ~、お母さんに怒られるよ~。」という私の話を全く聞かず、強制的に持って帰ることに。自分の買い物はどこへ行った?事情を母に話すと、笑いながら困惑されて思いがけない話をしてくれました。「私からお礼を言っておくわ。おじさんね、本当に人がいいの。だから、経営がうまくいかなくて、ここだけの話大赤字なの。なんだか今回の件でよく分かったわ。儲けよりも、人の為に動いてしまう人なんだよ。」ああ、なんか分かるな。でも私、そんなおじさんが大好きだよ。そんな話を母にすると、あなた本当に可愛がってもらっているものね、姪っ子の娘をこんなに大切にしてくれて私も嬉しいわ、と一緒にほのぼのとした時間が流れました。

その後、結局スポーツ用品店は閉店、それでも、若い人達に喜んでもらいたいと願ったおじさんは、近くの場所でレンタルスキーの仕事を始めました。中学生になった私は、学校からわざと遠回りをして、おじさんのお店に入り浸り。アルバイトの大学生のにいちゃんとも仲良くなり、椅子に座って、よく3人で話していました。何でもない話、それでも母の精神状態に波があった私にとって、そこはチェックポイントのようで、ひと呼吸おけるようで、癒しの場所であった訳で。「○○(母)の気性はよく知っている。S、いつでも来い。無理して話さなくていい。お前の気持ちは分かっているから。」いつも気を張っている私にとって、弱音を吐くことは糸がぷつっと切れることを意味していて、そんな気持ちを全部分かった上で伝えてくれた言葉なのだろうと思いました。

亡くなったという訃報を聞いた時、羽の片方がそぎ落とされたみたいで。父には話せなかったこと、家族には話せなかったこと、沢山聞いてもらっていたのだと、どうしようもない喪失感に襲われました。名古屋行きの新幹線に乗り、通夜の前に葬儀場に顔を出すと、長男の方が私に気づき、よく来てくれたねと泣いてくれて、一緒に泣いてしまいました。「俺達男3人兄弟だから、父とそんなに話すこともなくて、でもSちゃんが大切にしてくれていて、なんか嬉しかった。」「ううん。大切にしてもらったのは私の方。関東に行ってなんとなく疎遠になったことを後悔してる。こんなにも可愛がってもらっていたんだって新幹線の中で実感した。時に、父親のような存在でいてくれたの。司書になる為にもう一度大学に行くって言ったら、図書館もどんどんコンピュータ化が進むから、資格を取っても無駄になるだけだって反対されたの。悔しくて、本気で勉強した。大学図書館で働いている話をしたら、とっても喜んでくれて、お父さんが家を出ても、私には話せるお父さんがいてくれたんだなって思った。」誰も知らない話を沢山するものだから、そこの周りにいた人達は驚き、一緒に泣いてくれました。
そして、葬儀にはおじさんが大切にしていた若い人達や地域の方達が沢山参列してくださり、胸がいっぱいになりました。「家族にはぶっきらぼうだったけど、外の人達をとても大切に思っていてね。寂しい思いをしたこともあったけど、こんなに多くの人に見送られて、お父さんは幸せ者ね。」って最後におばさんが笑ってくれました。

どんな生き方をするのか、自分はどうありたいのか、いつもそこには信念があって、その後ろ姿を見せ続けてくれたおじさん。棺桶の蓋が閉まる寸前、三男の方が私の肩に手を置き、おじさんの目の前に促してくれました。「顔に触れてあげてほしい。」と。震える手で頬に触れると氷のように冷たくて、それでも私にくれた愛はどうしようもなく温かくて、止めどなく流す涙に、息子さん達は何かを感じ取ってくれたようでした。俺達には見せなかった顔を彼女は知っているんだな、そう言われているようでした。外と中、表情はもしかしたら違うのかもしれない。それでも、芯のある人は、沢山の人に愛され、見送られる。自分の最期には、誰がそばにいてくれるだろう。