今朝、またスケボーパパとすれ違ったのですが、なんだか頻繁に話しかけるのも迷惑かなと思い、そのまま挨拶だけしてバイバイ。よく見ると、年少ちゃんの乗り物が三輪車からキックボードに変わっていて、ツッコミどころが満載の親子にやっぱり話しかければ良かった~と後悔。
年中に上がった時、初めましてと挨拶したH先生が、お迎えの時に沢山ママ達がいた中で、私のことを覚えていてくださり、すぐに息子を連れてその日の様子を話してくれた時は本当に感激しました。その日は初日ということもあり、バス便のママもお迎えが多かったはず。二度目に会った時に、とても自然に覚えていてくれた先生の対応が嬉しくて、未だに忘れられません。
デートでもそうなのかな。一度目はお互いが様子見ということもあるけど、二度目があるということは、一回目が楽しかったから次があるのかと気分がまた違いますね。
大学時代の女友達が、「最初のデートでわざと和食のお洒落なお店に連れて行き、女の人が上手に焼き魚を箸で食べられる人は、お料理が得意な人だと思っていた男の人を知っている。」と話してくれて驚きました。私、絶対ダメじゃん!箸の使い方、あまり上手くないから、焼き魚君がいつも散々な目に遭っているよ。頑張って大きくなってくれたのにね。とそんな話ではなくて、箸の使い方はいまいちでも、お料理はそれなりにするよ。それなりにね。だから、その判断基準はちょっと違うと小さく訂正したい。
最近色々な理由で、カフェ巡りをしようと考えています。また来たいと思うかどうかは、居心地の良さが一番。食欲も物欲もどこかで欠落しているけど、空間欲みたいなものは人一倍ある気がしています。隣との席がゆったりしていたり、天井が高かったり、窓が大きくあったり、心地よく耳に入ってくる音楽が流れていたり。そして、店員さんが覚えていてくれたら、また来たいという気持ちに拍車をかけてくれますね。
名古屋の喫茶店は、個人店がとても多く、ご夫婦で営むお店がいくつもありました。父は、一人暮らしが長く、基本的に一人でいるのが楽な人なのですが、週末の朝は通い慣れたお店でモーニングと決めていて、そこで新聞を読み、顔なじみの店員さんと一言二言会話を交わすのが、いつもの日常でした。そのお店で近くに住んでいた祖母の弟に会い、とても気さくな方だったので、父も心地よく話したよう。「Sには近くに住んでほしい。」そう漏らしていたと、後になっておじさんが話してくれました。「お父さんは、Sに沢山迷惑をかけていることは分かっているから、何も言わないだろう。でも本心は家族の中で一番心地いい存在で、遠くに行かないでほしいと願っているよ。」
母方の親戚の中でも、父はそのおじさんと気が合い、時々ゴルフの話で盛り上がっていました。行き慣れた喫茶店で会ったのならなおさら、気持ちが緩んで本心をポロっと話したのかも。関東に来て、そのおじさんが亡くなったという知らせを、朝母から聞いた時、大学図書館のカウンターで泣きそうになり、昼休みに父に電話をしました。「葬儀だけに出ようと思ったけど、もう少し早く行こうか迷ってる。」そう伝えると、たったひと言私に言ってきました。「お世話になっただろう。」それ以上、何も言わなかった父。それは、迷う選択肢なんてなくて今すぐ来いということ。
喫茶店で本音を話せた相手は、父にとっても大きな存在だったのだと身に沁みました。
一度だけではなく、きっとおじさんとばったり会った喫茶店で、思い出と共に父はそこにいる。